私たちの世界は、愛を感じることができる器の大きさが全てだったのか
- 2024.09.02
- コラム
この度、ひとつ歳を重ねて
そのタイミングがあってか
改めて大きな気づきを得た次第です。
こんにちは。さきちです。
.
‘気づき’は突然やってくる。
でも実は小さな段階をいくつも踏んでいる。
.
今回は静かで、そして果てしなく大きい。
そんな気づきだった。
.
結論から言うと、
自分の器の大きさの分しか、愛の大きさはわからない。
ということ。
説明していくね。
.
.
私たちの人生には、たくさんの愛が用意されています。
大きい目で見ると、この人生で出会う人たち(家族、友達、先生、同僚、恋人、パートナー、隣人などなど)や、さまざま経験や出来事、環境の一つ一つ。
住む土地もそこにある海や川や、山や大気という自然や、降り注ぐ太陽の光なんかも環境だよね。
小さい目で見れば、私たち一人ひとりに与えられる物質的なもの。
住む家も、勉強する机も、与えられる日々の食事も洋服も。スマホもね。
全てが、実は用意された愛であることを、私たちはほとんど知らない。
なぜなら、それらが愛であることを
教えてもらっていないから。
“愛の受け取り方“を誰も、知らないから。
.
.
私たちは自分の器の大きさでしか、愛を測ることができない。
たくさんの愛を注がれたとしても、
コップが”おちょこ”くらいしかなければ、あとは全て溢れてしまう。
.
でももし、器がとっても大きかったら?
バケツくらいの大きさ?
プールくらいの大きさ?
もしも大地のように全てを受け取れる器の大きさがあったなら、すべての愛を『愛として』しっかり受け取ることができる。
.
私たちの器の大きは今、どのくらいだろう?
その器を大きくすることが、
実は私たちの人生を生きる意味なんだと今、理解しています。
体験を話すね。
.
.
夕方、私は鏡を見ていた。
するとどこからか声が聞こえた。
『ねえ、この人ともうすぐお別れだとしたら…どうする?』
.
私の意識がふっと少し後ろに下がって、
この人(自分)を
客観的に見ているような気持ちになった。
『つまり、この身体ともうすぐお別れするとしたら?ってこと?』
.
鏡に映る自分の姿を見て
私は急にこの人が愛おしくなった。
.
シミも増えそばかすもでき、シワも増えたよね
髪は昔よりハリはなくなったし、、、
なんて思う。
でも私は、ずっと『この人』として生きてきた。
『この人』のことを
『自分』だと
そう信じて、生きてきた。
.
実際、私はいつか『この人』と別れる。
この顔で、この身体で、この性格で生きられるのは今回だけ。
そう思ったら…
たまらなく『この人』が大切に思える。
.
私は『この人』として生きる限られた『人間』としての時間をもっと大切にしなければ…
私と『この人』は、ずっと一緒にいられるわけでじゃないんだ…
.
.
そして私は夕飯の支度を始めた。
お義母さんが、おかずを用意してくれた。
『私が、好きだと言ったから』と
芋づるとお肉でつくった甘辛いおかず。
それに、こんがりきれい焼けたサバ。
.
机に並べたそのおかずに、夕日が差し込んで当たっている。
.
とたんに私の心に”何か“が訪れた。
.
私はとてつもなく、愛されている。
ずっと愛されていた。
なにもかもに。
.
私はただ、受け取れていなかっただけだ。
愛が大き過ぎて。
私の器が小さかったばっかりに。
.
愛はいつも、いくつも、私の周りに並べられていた。
あっても、あることに気づいても、
それが愛だなんてわからなかった。
愛の受け取り方を知らなかったから。
.
愛だと思えないものですら、愛だった。
.
想像してみて?
私たちは死ぬ間際に何を思い出すと思う?
人生を回想して、最期に、何を想う?
.
私はね、きっとこう思うよ。
『あぁ、いろいろあったけど、楽しかったなぁ』
って。
.
そしてね、今までに、経験した愛を思い出すと思うの。
思い切り遊んだ子ども時代。
喧嘩したり、笑い合った兄弟や友達のこと
たくさんぶつかったけど、思い切り愛してくれた父や母のこと
恋をしたり、アルバイトをしたり、死ぬほど勉強した青春時代
病気がわかった日のこと
結婚した日のこと
初めて夫と一緒に住んだ日のこと
子どもが生まれた日のこと
子育てに悩んだ日々のこと
そしていろんな人にたくさん助けてもらったこと
何より
いつも、そばにいて支えてくれた夫の優しい笑顔
そんなことを思い出すと思う。
そして全てに感謝して、死ぬと思う。
.
そう思うと、人生で思い出す愛の出来事を
これでもかって増やすことが…きっと私たちにできること。
それがしたくて、生まれてきたんだと思う。
.
それが、どうにも分かってしまった。
.
自分の中にある愛を思い切り、そのときできる形でできる人に表現すること。
.
全てが愛だよ。
愛だけ、なんだよね。
.
自分の人生を愛で生きるか、
憎しみや不安や心配の中で生きるかは
気持ちひとつで変えられると思う。
.
ただ、(私のように)思いのクセが強いと笑
少し時間がかかる。
それだけ。
時間はかかるけと、必ず器は大きくなる。
自分にとっての愛とは何か、絶対に見つけられる。
.
人生を広い目でとらえてみてほしい。
死ぬ時にはきっと、愛しか思い出さないよ。
.
だから、思い出せないほど愛の思い出を増やして、
思いっ切り愛して、愛されて、
やりきって
死ぬ。
それでいいんだと思うよ。
.
歴史に名を残さなくていい。
大きなことを成し遂げなくてもいい。
.
私たちは私たちの器を大きくしながら
とらえた愛と
自分の中にある
まだとらえきれない程とてつもない愛を
どうにか表現することだけで
いい。
そう思うよ。
.
等身大の自分を認めて、受け入れて。
できないことがたくさんあってもいいんだよ。
.
ときどき一言多く言っちゃう自分も
それを気にしちゃう自分も
頑張りすぎちゃう自分も、
おかげでたくさん休まなきゃやってられない自分も
考えすぎちゃう自分も、
甘えたい自分も
ときどき怒りすぎちゃう自分も
情けなく罪悪感にまみれて自己否定に陥っちゃう自分もさ、
全部それでいい。
.
それすらさせてもらえるのが愛で
愛を感じることができない経験も愛で。
でもそのカラクリを全部わかっちゃったら
愛にしかならないのが愛なんだよ。
.
自分が1番自分を知っていて
でも実は1番知らない未知の存在で
わかるようでわからない。
.
でも一つだけ揺るぎない確信がある。
私は、『この人』が、
今回一緒に生きるこの自分が、
好きだって。
.
限りある時間をこれからは大切に過ごすよ。
そして死ぬ時には
思い切り『この人』のこと
正面から抱きしめてあげるんだ!
.
それが私の今の夢。かな。
.
それじゃあ、またね。
-
前の記事
ネガティブな気持ちを持ち続けると何が悪いの? 2024.08.31
-
次の記事
気づいておいてくれ。あなたと他人がみている世界は違うということを。 2024.09.04