私たちの世界は、愛を感じることができる器の大きさが全てだったのか

私たちの世界は、愛を感じることができる器の大きさが全てだったのか

この度、ひとつ歳を重ねて

そのタイミングがあってか

改めて大きな気づきを得た次第です。

こんにちは。さきちです。

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‘気づき’は突然やってくる。

でも実は小さな段階をいくつも踏んでいる。

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今回は静かで、そして果てしなく大きい

そんな気づきだった。

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結論から言うと、

自分の器の大きさの分しか、愛の大きさはわからない。

ということ。

説明していくね。

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私たちの人生には、たくさんの愛が用意されています。

大きい目で見ると、この人生で出会うたち(家族、友達、先生、同僚、恋人、パートナー、隣人などなど)や、さまざま経験出来事環境の一つ一つ。

住む土地もそこにある海や川や、山や大気という自然や、降り注ぐ太陽の光なんかも環境だよね。

小さい目で見れば、私たち一人ひとりに与えられる物質的なもの。

住む家も、勉強する机も、与えられる日々の食事も洋服も。スマホもね。

全てが、実は用意された愛であることを、私たちはほとんど知らない。

なぜなら、それらが愛であることを

教えてもらっていないから。

愛の受け取り方“を誰も、知らないから。

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私たちは自分の器の大きさでしか、愛を測ることができない。

たくさんの愛を注がれたとしても、

コップが”おちょこ”くらいしかなければ、あとは全て溢れてしまう。

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でももし、器がとっても大きかったら?

バケツくらいの大きさ?

プールくらいの大きさ?

もしも大地のように全てを受け取れる器の大きさがあったなら、すべての愛を『愛として』しっかり受け取ることができる。

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私たちの器の大きは今、どのくらいだろう?

その器を大きくすることが、

実は私たちの人生を生きる意味なんだと今、理解しています。

体験を話すね。

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夕方、私は鏡を見ていた。

するとどこからか声が聞こえた。

『ねえ、この人ともうすぐお別れだとしたら…どうする?』

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私の意識がふっと少し後ろに下がって、

この人(自分)を

客観的に見ているような気持ちになった。

つまり、この身体ともうすぐお別れするとしたら?ってこと?』

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鏡に映る自分の姿を見て

私は急にこの人が愛おしくなった。

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シミも増えそばかすもでき、シワも増えたよね

髪は昔よりハリはなくなったし、、、

なんて思う。

でも私は、ずっと『この人』として生きてきた。

『この人』のことを

『自分』だと

そう信じて、生きてきた。

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実際、私はいつか『この人』と別れる。

この顔で、この身体で、この性格で生きられるのは今回だけ。

そう思ったら…

たまらなく『この人』が大切に思える。

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私は『この人』として生きる限られた『人間』としての時間をもっと大切にしなければ…

私と『この人』は、ずっと一緒にいられるわけでじゃないんだ…

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そして私は夕飯の支度を始めた。

お義母さんが、おかずを用意してくれた。

『私が、好きだと言ったから』と

芋づるとお肉でつくった甘辛いおかず。

それに、こんがりきれい焼けたサバ。

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机に並べたそのおかずに、夕日が差し込んで当たっている。

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とたんに私の心に”何か“が訪れた。

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私はとてつもなく、愛されている。

ずっと愛されていた。

なにもかもに。

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私はただ、受け取れていなかっただけだ。

愛が大き過ぎて。

私の器が小さかったばっかりに。

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愛はいつも、いくつも、私の周りに並べられていた。

あっても、あることに気づいても、

それが愛だなんてわからなかった。

愛の受け取り方を知らなかったから。

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愛だと思えないものですら、愛だった。

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想像してみて?

私たちは死ぬ間際に何を思い出すと思う?

人生を回想して、最期に、何を想う?

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私はね、きっとこう思うよ。

あぁ、いろいろあったけど、楽しかったなぁ

って。

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そしてね、今までに、経験した愛を思い出すと思うの。

思い切り遊んだ子ども時代。

喧嘩したり、笑い合った兄弟や友達のこと

たくさんぶつかったけど、思い切り愛してくれた父や母のこと

恋をしたり、アルバイトをしたり、死ぬほど勉強した青春時代

病気がわかった日のこと

結婚した日のこと

初めて夫と一緒に住んだ日のこと

子どもが生まれた日のこと

子育てに悩んだ日々のこと

そしていろんな人にたくさん助けてもらったこと

何より

いつも、そばにいて支えてくれた夫の優しい笑顔

そんなことを思い出すと思う。

そして全てに感謝して、死ぬと思う。

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そう思うと、人生で思い出す愛の出来事

これでもかって増やすことが…きっと私たちにできること。

それがしたくて、生まれてきたんだと思う。

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それが、どうにも分かってしまった

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自分の中にある愛を思い切り、そのときできる形でできる人に表現すること。

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全てが愛だよ。

愛だけ、なんだよね。

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自分の人生を愛で生きるか、

憎しみや不安や心配の中で生きるかは

気持ちひとつで変えられると思う。

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ただ、(私のように)思いのクセが強いと笑

少し時間がかかる。

それだけ。

時間はかかるけと、必ず器は大きくなる。

自分にとっての愛とは何か、絶対に見つけられる。

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人生を広い目でとらえてみてほしい。

死ぬ時にはきっと、愛しか思い出さないよ。

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だから、思い出せないほど愛の思い出を増やして、

思いっ切り愛して、愛されて、

やりきって

死ぬ。

それでいいんだと思うよ。

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歴史に名を残さなくていい。

大きなことを成し遂げなくてもいい。

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私たちは私たちの器を大きくしながら

とらえた愛と

自分の中にある

まだとらえきれない程とてつもない愛を

どうにか表現することだけで

いい。

そう思うよ。

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等身大の自分を認めて、受け入れて。

できないことがたくさんあってもいいんだよ。

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ときどき一言多く言っちゃう自分も

それを気にしちゃう自分も

頑張りすぎちゃう自分も、

おかげでたくさん休まなきゃやってられない自分も

考えすぎちゃう自分も、

甘えたい自分も

ときどき怒りすぎちゃう自分も

情けなく罪悪感にまみれて自己否定に陥っちゃう自分もさ、

全部それでいい。

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それすらさせてもらえるのが愛で

愛を感じることができない経験も愛で。

でもそのカラクリを全部わかっちゃったら

愛にしかならないのが愛なんだよ。

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自分が1番自分を知っていて

でも実は1番知らない未知の存在で

わかるようでわからない。

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でも一つだけ揺るぎない確信がある。

私は、『この人』が、

今回一緒に生きるこの自分が、

好きだって。

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限りある時間をこれからは大切に過ごすよ。

そして死ぬ時には

思い切り『この人』のこと

正面から抱きしめてあげるんだ!

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それが私の今の夢。かな。

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それじゃあ、またね。

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