【詩のように】愛も暴力も紙一重だと思った
- 2025.01.26
- 2025.01.27
- コラム

こんにちは。さきちです。
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なんか
唐突に
最初から
とんでもないことを言ってごめんなさい。(笑)
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でもね、私が思うことを思うままに書いていいのが
このブログだと思ってるんで
遠慮なく書きます。ね。
どうかこれも何かのご縁と思って、ゆるっとお付き合い下さい。
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きっと
最後まで読んでもらえたら、
言いたいことの意味が
なんとなくでもわかってもらえるのではないか、と思うのです。
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愛も暴力もって書いた時点で
そこを並列化することに
胸の中からモヤァっとした抵抗が出ます。
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でも…
私たちは【感情】で
この世の中のさまざまな体験をしている生き物だとするならば、
その”感情”が大きく揺さぶられるという点で
この2つはほとんど同じだと
言えると思うんです。
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私は今まで、
愛ならば感情が揺さぶられたとしても”良いこと”なんじゃないか?
と思っていました。
それは一般的に感動と言って、
人々に勇気を与えたり
あるいは自分にとっての原動力になったりするものだから。
愛がなければ、
人は健やかに成長できないし、
元気に生きられないとも思う。
それほど大切なものだと思う。
その意味では暴力と一線を画すとも思う。
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でもその大きな愛を
私はなぜだか怖いとも思っていることに
最近気が付いた。
なぜだろう?
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そこには究極的な愛を感じた時の大きな感動が、
今度は逆説的に
その愛を失うことへの恐れを無意識に作り出すからだと。そう気付いたからです。
愛を感じるごとに、
その愛への執着のようなものがぴったりとくっついていることに気が付いたから。
なんだかそれが
とても恐ろしくなった。
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母の愛。父の愛。
家族の愛。
それら無償の愛は尊く、同時に恐ろしい。
心が震えるほどにありがたくて、
同時に失うことが怖くてたまらない。
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本能的にそう感じる。
その怖さはある種、暴力的にも思える。
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失いたくないから、もう愛をこれ以上求めたくない。そんな気になる。
愛に触れることが怖い。
愛は…自分を壊すことができる。
全く別の人に変えてしまうことだってできる。
それほどの力がある。
小さな私ではとても太刀打ちできない。
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感情が否応なく揺り動かされるほど限りなく大きな愛。
それが私は怖い。
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自分が受けてきた愛を再確認するのが怖くて
思い出を振り返ることができない。
そんなことがあるだろうか?
そんな馬鹿げたことが。
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私たちは…
たとえ今の自分が
『愛なんて経験したことがない』と思ったとて、
遠い昔の、
どこかの誰かとどこかの誰かが
交差した繰り返す愛の記憶は
私たちの血に滔々と流れていて、
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連綿と続く祖先の
その愛の連鎖の最先端が私たちなのだとしたら
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私は、
私たちは、
ここに存在しているだけでもう
とてつもなく
ものすごく
愛であり、
それも暴力的なほどに
愛であり、
愛のかたまりなんだと
そう
実感している。
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この膨大な愛の記憶は
私たちの中に
今この瞬間も在り続けている。
意識しようがしまいが
知っていようがそうでなかろうが
そんなことは関係なく、
私たちの身体が全てを覚えている。
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だから
だからね…
ここに存在する
この自分を、
躊躇なく
愛していいんだよと
この身体は叫んでいるように感じる。
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暴力は決して肯定しない。
しかしある意味で、
愛という、この表現しがたい感情は、
私たちの心の奥底に流れる
形容しがたいこの温もりは、
人を壊すほどに、
すっかり心を変えてしまうほどに
巨大なパワーを持っていることには違いない。
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尊く、激しく、強く、深い愛の連鎖が
私たちの血に流れていることを
私は今、実感している。
なぜだか、実感しています。
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古代から続く血の記憶が
私たちを変えていく。
今がまさにそのとき。
そう、私の身体は言っています。
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