“不安や恐れを感じる人生”から”愛を知り体現する人生”へ転換せよ
- 2025.06.09
- コラム

こんにちは。さきちです。
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自分の人生から学ぶことっていうか
気付くことって本当に多いよね。
というより、それしか学ぶべきことはないのかも知れない。
だって人の話をいくら聞いても
究極的には、自分のものにはなかなかなりにくいでしょ?
だからやっぱり
自分に起きたこと、起きていることから学ぶ必要があって
それが最も大切なことだと私は感じています。
でね、ここからが私の気付きなんだけれども。
みんなたぶんそれぞれに
人生の”テーマ”ってあると思う。
私は今まで
大きなテーマみたいなものって考えてこなくて、
ある出来事があってそこから学べること、
みたいな感じで
具体的な事柄に注視していることが多かったのね。
でも本を読んでいて
あるフレーズからピンときたことがあったの。
統合とは『恐れや不安』から『無条件の愛』へシフトしていくこと、って。
そんな内容だったと思う。
(今ラーメン作ってるんだけど、この記事書き終わるまでに麺がたぶん伸びる。でもいい笑)
で、私はあまり『統合』というワードが好きではない。
統合ってなんか無理やり合わせる感があるから。
融和とかの方がいいなって思う。
まぁそれは置いといて。
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とにかく今の時代、分離から統合って言われてるんだよね。
2つから1つにしていくってことだよね。
恐れや不安があると、自分からその部分が分離するんだよね。(シーソーゲーム)
元の自分が安心とか愛とかそういうものだとすれば、それはそうなるよね。
だから
そういったネガティヴなものを外していって
最終的にに一つになろうというイメージなのかなと思う。
そっちの方が楽だもんね。
で、この文章を読んだ時、
はっとしたことがあったの。
私の人生、いつも大きな恐れや不安があったなって。きっとみんなそれぞれあると思う。
私の場合は
『学歴がないとちゃんと生きられない』
という恐れや不安から選択をする人生だったんだよね。
学歴や肩書に縛られるというか憧れるというかそんな人生。
一度はきちんと公務員になった。
だけど今は主婦。肩書も地位もなんもない。笑
それはそれで
社会の役に立ってないような恐れや不安があってさ。
結局どっちであっても恐れや不安に苛まれていたわけ。
つまりね、
公務員になって安定したはずなのに
私は病気に苛まれていたし、
人生このまま終わるのか?と謎の不安に苛まれていた。
仕事を辞めて
結婚して出産して
仕事をしなくて良くなっても
社会に取り残されたような不安に苛まれていた。
これってなんなん、、、
こんなことってある?
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どっちに転んでも
私はどこかでいつも
心配事や不安に心や頭を支配されていて、
そこから逃げ出すために
何らかの方法論を探し続けていたんだよね。
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何かになりたくて
目標を見つけてはやってみて
でも違うな、なんかな、って。
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外側に何かを見つけては取り入れてくっつけて
違う自分になろうと頑張っては諦めて。
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でね、これってなんでかなって思ったんだけど、
何でだと思う?笑
いったん考えてみて。
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私もまだ真にここから抜け出ていないの。
でもラーメン食べながら思いついたというか繋がったというか、(食べてるんかい)
それはね
『比較』
なんだよね。
言うならば『他人との比較』だね。
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完全に無意識でやっちゃってる。
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だって”今”この瞬間
ここにいる私って、
幸せにラーメン食べてて
正直なんの不安もなく
安全な屋根のあるおうちにいて、
行きたい時にトイレに行けて
おならもできるし(え)
休憩もできて、
家事を好きな時にやって、
時間が来たら子どもたちと遊んでって。
控えめに言っても最高なのに
なぜか心では
私、誰かの役に立ってますかね?って思ってるんだよ。
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いいやん、別に。
誰かの役に立たなくても。
少なくとも自分に課された最低限の仕事はしてるし
なんなら子育てなんて
スーパー超絶大変なお仕事を担ってる。
未来の宝を育ててる笑
(そして毎日、世界の安寧を祈ってる。)
これって、
他の人と比べてるから
こういう思考が出てくるなって気付いたんよ。
私、実際のところ
とてもハッピーなのにね。(大事)
どうしてそれを
味わおうとしないのだろう。
味わおうとすると、罪悪感が出るのだろう。
きっと、
わたしの母がそうじゃなかったことも
影響してるのかもしれないね。
(母が家でゆっくりしての見たことがなかったから)
だとしたら
私に罪はない。
もちろん母にも、
他の人にも罪はない。
さて、
それなら
『比較』はドブに捨ててしまおうか。
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だから
私は自分1人でいたいんだな。
他の人と比較してしまうから。
主に外でバリバリ働いている人とね。
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でもそんなの関係ねぇ!
って言えるようになったら
きっと私は
自分とこの生きてきた人生を
丸ごと愛して受け入れることができるのかもしれない。
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私ね、本当に今が好きだよ。
私は私のままでいい。
この自由を
この優しい家族を、
これを手に入れたくて
ずっとずっとイバラの道を歩んできたって思うから。
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ただ1人認めない者が、
ラスボスが
自分の中にいるって、
このことに気付けたら
きっともうほとんど
最終関門は終わりだ。
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気付いたら終わり。
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あとはもう
君は、
私を責める
幻のワタシは、
居なくなる。
そうでしょう?
ほら、ね。
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