人の胸にはフリーエネルギー循環装置がある。
- 2023.11.08
- コラム
こんにちは。さきちです。
■人にはなぜ、感情があるのだと思いますか?(唐突)
わたしはエネルギーを循環させるためだと思っています。
感情が動くと、自分の中のエネルギーが大きく「ぐわん」と動くのを感じます。
涙が出たり、胸が苦しくなったり。やりたいことを見つけてワクワクしたり。
人を心から愛おしく思ったり、はたまた我を忘れるほど怒りを覚えたり。
恥ずかしいとき身体がカーッと熱くなったりしたこと、一度は誰でも体験しているはず。
感情とエネルギーは連動しています。
では、また別の問い。
■人はなぜ孤独を恐れるのでしょう?
■なぜ、ときどきたまらなく寂しさを覚えるのでしょう?
それは、自分以外の誰かといることで、大きな感情を動かすためだと思っています。
感情を動かす=エネルギーの循環
■では、なぜエネルギーを循環させる必要があるのか?
エネルギーが滞ると、、、
人は、、、病気になる。
そしてもしかすると、それが原因で死んでしまうから。
川や海には流れがある。
しかし、流れの全くないため池は?
そのままではいつか汚れて、水は腐っていきます。
循環させる重要性
身体は、脳は、エネルギー(氣、プラーナともいう)の循環の重要性をよく知っています。
だから体は運動を求めるし、脳は感情を動かすことを求めます。
感情をより効率的に動かすためには「相手」がいると、とても楽です。
友達や恋人、家族というシチュエーションで感情を動かします。
でも、感情の波が大きいと、自分としては結構苦しいことも多い。
だから私なんかは一人でいることを好んでいます(笑)
一人でいると大きく感情が揺さぶられることは少なく、とても平和です。
でも、そうすると脳が「そろそろ友達と会わないと友達いなくなるよ」とささやきだします。
「さすがにひとりぼっちはやばくない?」とか。
確かに気の合う友達と大笑いすることは私も大好きです。
ホッとする一面もあります。
でも、実際のところ、1年一回もしくは数年に1回でも大丈夫だと思っています(笑)
なぜかというと、私は胸にあるフリーエネルギー循環装置を発見したからです。
この装置は目には見えませんし、メスで身体を開いたところで見つけられません。
でも、みんなに備わってる。
この装置をしっかり回すことができれば、一人であってもエネルギーを循環させることができる。
人間関係の中で激しく、ときにしんどい想いをしてまで動かす感情とはちがって、1人でするエネルギーの循環は穏やかでありながらスムーズ。
そして最終的には優しい気持ちになれる(笑)
赤ちゃんや小さな子供の頃はみんなその胸の装置をグルんグルん回してエネルギーを循環させているのが分かります。
大人を見ると…ほとんどの人が滞っている。
ときどき回転するけど、基本はゆっくりとしか回っていない。
だからなかなか元気が出ない。
でも、この装置は実は簡単にグイグイ回すことができます。
そのスイッチは、自分をどれだけ愛せるかにかかっています。
「愛する」とかいうと高尚なことのように思えますが、一言で言うなら「自分をお客さんのようにもてなすように大切に扱う。」ということだと思います。
自分の家に大切な来客があるとき、玄関にスリッパを出しておきますよね。
スリッパは汚れていないかな?確かめます。
美味しいお茶かコーヒーを淹れて、きれいなカップに注ぎ、出す。買っておいたお茶菓子も添えます。もしかしたら手作りしちゃうかもしれない。
部屋の温度はどうかな?
お手拭きは必要かしら?
お茶のおかわりは?
相手を想うからこそする行動を、ぜひ自分にも同じようにしてあげてください。
いつも最後になってしまう自分のことを、たまには一番最初にしてあげてください。
めっちゃくちゃ喜びますよ。
そして胸に手を当てて(願わくば両手)、「いつも頑張ってくれてありがとう。大好きだよー。」と伝えてみてください。
手のひらから胸に温かさが伝わります。
温かい。生きている。素晴らしい。
「ありがとう」
「大好き」
自分に言ったことがありますか?
言葉のエネルギーがジワ―っと伝わっていくのがわかります。(細胞たちの喜び)
もう背中までポッカポッカになりますよ!
だって、生まれてこのかた、どんなときもずーっと一緒にいてくれ、働いてくれているあなたの身体。
あなたの思い出をすべて共有してくれています。相棒!すなわちバディです(笑)
誰よりも真っ先に感謝を伝えるべきでしょう。
自分を優先することに罪悪感を感じる人は、ちょっとずつでいい。
無理のない範囲からでいい。
好きなおかずを1品選ぶことにokを出してあげてほしい。
お風呂に入ったら、優しく丁寧に自分の身体を洗って、労わってあげてほしい。
「もう、きょうめちゃくちゃがんばったじゃーん」と大げさに褒めてあげてほしい。
誰がどう言おうと、私は自分の味方でいる。
自分のことを一番に信じてあげようといつも思っています。
下手したらすぐに卑下しちゃうからこそ、そのことは忘れずにいたい。
私たちは、まず人のことを考えるように教育されてきた。
人に迷惑をかけないように。みんなと同じになれるように。
真面目に。普通に。一般的に。
多くの日本人は、優しくて暖かい。
でもその優しさを自分には向けられていなくて、
「もっとこうできたはず」「もっとできることはないか」
いつも外に何かを探してる。
その思いは素晴らしいけれど、その前に、あなた自身が実はSOSを出している。
そのことに気づいた方がいい。
家庭に目立った不和がなくても
お金に困っていなくても
当たり前に普通の生活をしてきたと自負していたとしても、
…どこかでなぜか深く傷ついている。
自分に自信が持てなくて、心の拠り所をいつも探していて、誰かに決めてもらうことを求めてる。
それはこの日本が戦争に負けたからかもしれないし、
TVで見た何かからかもしれないし、
誰かに投げかけられた一言かもしれない。
自分に自信が持てないのは、もしかしたらあなたのせいじゃないかもしれないよ。
「隣の芝は青い。」
だから人はみんな他人が素晴らしく見える。
同じように、他人から見たあなたはとても素晴らしいのだ。
あなたは素晴らしい。
この世界は、一人一人が素晴らしい。
自分の素晴らしさが信じられたなら、胸の装置はきっと高速回転を始めてる。
どんなときもずっと
私たちは素晴らしい存在なのだ。
絶対にね。
おしまい。
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