【内観の極意】自分をゆるすことと自分を認めることはそもそも違う
- 2023.06.14
- コラム
こんにちは。さきちです。
今回はちょっと難しそうなタイトルなんですが。
実はめちゃくちゃ単純。でもとっても大切なお話。
”ゆるすこと”と”認めること”
「こうでなければならない」
私は昔からいつも自分に条件を付けていました。
たとえば
賢くなければならない
とか
可愛くなければならない
とか
人前ではこうあらねばならない
とかいうようなことです。
しかも、人一倍周囲からの期待に敏感で、その期待に全力で応えたいとも思っていました。
「こうでなければならい」という自分の内側に占める大きな意識があり、その向こう側にはいつも期待を投げかける誰かとそれに応えようと頑張る自分が対峙していました。
その状況は自分にとってはごく当たり前のことだったから、「人間社会で生きる」ということもそのようなことだとずっと思って生き続けてきました。
条件を満たすことが自分の価値に直結している世界でずっと生活していましたし、特段不都合も感じていませんでした。
しかし、30代も目前。正社員での仕事もなくなり、結婚して周囲に家族や同僚、友人がいなくなってみると自分にはなんだか何もないような気がしました。
蓋を開けてみると自分が誰なのか、何が好きで、なんのために生きているのか、、、自分の中が空っぽなことに気づきました。
私は焦りだしました。
そして再び生きる目的を探し始めました。
妻となり、子どもが生まれ母になり、日々の生活に追われる中でも私は自分に「私は誰なんだろう」と問い続けていました。
その根底には「誰かに認められるべき”誰か”であるべき」という思いが消えていませんでした。
認める前にゆるせ
誰かに認めてもらうということは、その誰かのための自分になることを自分で望む、ということになります。
でもこのことは、「誰かに認めてもらえなければ、自分はもはや自分でいられなくなる」ということを意味します。
つまり世界は、その「誰か」ありきということになってしまうのです。
その瞬間、自分はこの世界で一人で存在することができなくなります。
もはや本当の自分を見つけることは困難ともいえます。
もしも自分を心から尊いと感じたいのであれば、他人から自分を切り離して自分を自分だけで見つめる必要が出てきます。
でもこれはとても勇気がいることだし、見つめることで自分の至らぬところばかり目について下手したら傷つきます。
自分を見つめる作業は、少しいやかなりパワーがいります。
よく「どんな自分も認めてあげなさい」とスピリチュアルの世界では言われることがあります。
自分軸をしっかりさせるため、とか自分らしくいるため、とかね。
私もそう思って自分を認めるための作業をしてみたりもしました。
自分がどんな性格だとかどんな考え方のクセがあるだとか、こんな可愛いとこもあるとかそんな発見を繰り返したりして
紆余曲折しながら、なんとなくは認められたような気もします。
しかし、心の底から認められたか?というと答えは「否」でした。
なぜなら、「認める」という作業は私にとっては単に自分を上から眺める作業に他ならなかったからです。
自分という本体をさておいて、上から俯瞰して自分の良いところを見つける作業が私にとっては「認める」という行為だったんだと気が付きました。
なんだか言葉遊びをしているようではありますが、ここが今回の肝となる部分なので感じ取ってみてください。
認める前にまずは自分をゆるさなければいけない。
これが一番大切なポイントです。
「自分をゆるす」と言うとき、あなたはどんな感覚がしますか。
自分自身と同じ視点に立っている感じがしませんか?
「自分を認める」というとき、どんな感じがしますか。
私はどうしても自分から抜けて、少し離れたところから見ている感覚になってしまうんです。
自分をゆるす、というと、自分がここに存在していいんだ。
何も持っていなくても、何かを生み出していなくても、ただそこに居るということを「ゆるす」というイメージがするんです。
両手を広げて自分自身を抱きしめる感覚があります。
これまで何十年も「条件付き」でしか自分の価値を感じられなかったけれど
自分をゆるそうと本気で思えたとき、すべてが決壊するように、周囲の見えない壁が徐々に崩れて溶けていくように思いました。
あなたはすでにこの世に存在することをゆるされています。
あなたが、そしてわたしが、このときこの瞬間、この場所にいることはもう二度とありません。
それだけで「有難い」こと。奇跡であり素晴らしいことです。
あなたの発するエネルギーそのものが周囲をキラキラと輝かせていること。
あなたと挨拶を交わす人があなたからもらえるパワー。
あなたが行く場所行く場所で、あなたはその場所に光のようなきらめく波動を残しています。
生きてるだけで本当にすごいことをしている。
私は自分の子どもたちや夫、そして人々の動きを見ているとそのエネルギーの動きをとても繊細に感じるのです。
みんながエネルギーを交換していること、行動によって流れを生み出していること、場を整えていることがよくわかります。
一人一人の力って本当にすごい!本当に大きいんです。
そしてそれは自分にも当てはまる。
そのことに気づいて、
あぁ私はもう自分に条件を付ける必要はない。だって人って、生きているだけでこんなにもエネルギーを動かせるんだもん。
自分をゆるそうと心の底から思えました。
もしもあなたが自分は何もできないと嘆いているのならば、それは違う。
息を吸って吐いているだけで、あなたはその場を動かしているし、あなたが笑えばその場所が明るくなるんです。
あなたが歌えばその場所は輝くし、あなたが動けばあなた自身から出る光がどこかの誰かに届き、あなたの足元に広がる大地が元気になります。
自由を愛する自分をゆるす
最後に私の体験談を一つお話します。
先に述べたように、正職員を辞めてから私は自分探しを始めました。
自分の好きなことを片っ端からやってみることにしたんです。
行政書士の勉強、英会話、ヨガ、アロマ、ネイル、料理、お菓子作り、アクセサリーづくり、洋裁、刺繍、ウクレレなどなど。でもね、いつもどれも長くは続かないんです(笑)一点集中できるし、ある程度上達するけどそうなったらもう満足。熱しやすく冷めやすいタイプです。
前回の記事で書いたように、とても飽きやすく、そのことがいけないことだとずっと感じていました。
さらに、私は自分の自由な気持ちや選択、行動を制約されることに非常に憤りを感じるタイプです。
あるときお義母さんが勝手に「名前貸し」のような形で政治団体の下部組織に私を加盟させたことが分かると、押さえられない怒りが湧きました。
「それはしたくない」「これはやりたい」
この気持ちを尊重してほしいという気持ちがとても強いんです。
この裏には何があるのか?と不思議に感じてもいました。
そしてあるとき答えが分かりました。
以前セッションをしてもらった霊能者さんいわく、私は「型にはまらず自由に生きる!」という目的を掲げて今世に飛び出してきたそうです(笑)
「お花畑のような人生にするんだ!」と言っているのが聞こえてきたそうで。可愛いでしょう?(笑)
それを聞いてめちゃくちゃ納得できたんですよね。
いろんなことを自由にやって、好きなことをして楽しむんだ。と。自分の本質はすでに自分で理解していたことも知りました。
「こんな風にしか生きられない」と世間でいうところの一般的には生きられないとしても、それは決して悪いことではないし、むしろ魂の本質に沿っているのかもしれないと、そんな風に自分を見つめてあげると生きやすくなるかもしれません。
今回のお話はここまでです。
最後まで読んでくれてありがとう。
それではまたね。
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