あの子はきっと宇宙人だった。

あの子はきっと宇宙人だった。

こんにちは、さきちです。

2023年11月14日火曜 晴れのち雨

今日は中学高校時代の同級生Tちゃんの話をしたいと思います。

夕飯の仕度をしていたら突然彼女のことを思い出した。

そう言えば、彼女って

『私たちに”何か大切なもの”を思い出させる役割』を持っていた人だったなぁ。というのを書き残したいと、そんな気になりました。

これから、私とTちゃんの不思議な繋がりのお話をします。

私とTちゃんは、中学一年生のとき水泳部の仲間として初めて一緒になりました。

当時の水泳部はとても人気で、1年生だけで20人が入部しました。

そんな中で、いつも1人でいるのがTちゃんでした。学年に1人はいる『変わった子』。

Tちゃんの見た目はいわゆるアニメオタクのような感じで、(実際、ベルサイユのバラが好きだった)天然パーマをショートヘアにして、丸メガネをかけていました。

歯の矯正器具が、それこそ宇宙人ぽくもありました。

一見、運動部に入りそうには見えない不思議な文化系オタクの雰囲気を醸し出していて、かといって大人しくもなく、顔はいつも笑っているように見えました。

しかし、その風貌というか佇まいというかで、上下関係で特に厳しい水泳部において、先輩から目をつけられる存在となっていました。

きびきびと動かなくてはならない場面で、マイペースなTちゃん。

悪く言えば、周囲の人からは『どんくさい』と思われていた気がする。

特に同じ学年の私たちからすれば、『お荷物』と呼ばれる存在になっていたかもしれない。

私自身はTちゃんを特別疎ましく思ったことはなかったし、いじめた記憶もないけれど、

Tちゃんからすれば私も周りと同じで、特段いいやつでもなければ、記憶に残るような優しい人でもなかったと思う。

ただ、Tちゃんが1人でいるとき、気が向くと私は話しかけたりもしていた。

もしかしたら、彼女にとっては、からかわれたように感じたかもしれないけれど、

私としては、Tちゃんに”あなたも私たちの仲間だよ”ということを少しでも感じとって欲しかった、という気持ちがなくもなかった。

当時はそんな複雑なことは思っていなかったけれど。

中学2年になって、Tちゃんは部活を辞めた。

やはり私たちのTちゃんを疎外する雰囲気が、自然とTちゃんを辞めさせてしまった気がする。

私はTちゃんがいた中学1年生の夏を思い出す。

真っ黒に日焼けして練習に明け暮れた、あの夏。

他校での練習の日。朝早い駅での待ち合わせで私はTちゃんと2人きりになったことがあった。

まだTちゃんしか来ていなかったのだ。

Tちゃんはいつも1人だったから、特別気まずい様子もなかったけれど、私は沈黙が嫌だったから、Tちゃんと少し会話をした。

Tちゃんは確かお医者さんのおうちの子で、家は割と裕福だったはず。

Tちゃんは『毎年フィジーに行く』と言っていた。Tちゃんはどんな人の前でもいつもTちゃんらしさを保っていて、誰にも媚びなかった。

先輩に理不尽なことを名指しで言われたときも、それに屈しない強さを持っていた。

でも今思えば、、、本当は傷ついていたと思う。

それほどにキツい当たりをしてくる人もいた。

Tちゃんが持っているパイナップルの髪留めが目に留まって『パイナップル、好きなの?』と聞くと『うん、好き!』とニッコリ笑っていたのを思い出す。

周りがダサいと囁いても、いつもそのパイナップルの髪留めをしていた。

『花ならひまわりが好き!』とも。

私には、そんな強さが羨ましくもあったし、Tちゃんといると肩の力が抜けて、素直に笑ってしまう自分も好きだった。

しばらくしてみんなが集まってくると、自然とTちゃんとの距離は離れてしまった。Tちゃんはまた1人になった。

私のアルバムには、夏休みの練習のときだろうか、教室でTちゃんと2人で撮った写真もあった。

私はやっぱりTちゃんが好きだったんだと思う。

友達から言われたことがある。

『さきちってすごいよね。Tちゃんと普通に話せるって。』と。

友達は決してTちゃんを悪く言ってる感じではなく、むしろ本当に感心しているようだった。

『私にはできないなー』と。

私は、みんなの気持ちも理解できる。

なんというか、Tちゃんはみんなの空気を乱す。Tちゃんがいるせいで、先輩から連帯責任だと言われ、みんなで怒られたことが何度もあった。

でもわたしは、それでもTちゃん本人が悪いとは思えなかった。

私はTちゃんにどこかで自分と同じ部分を感じていたような気もするし、Tちゃんの芯の強さを尊敬していたような気もする。

Tちゃんは中学•高校の6年間、仲のいい友達と一緒にいるのをみたことがない。

それでも悲壮感はなく、昼休みにはいつも1人でニコニコしながら校庭を散歩していた。

本当にいつも1人だった。

でもなぜかね、高校の卒業式が終わって、最後の謝恩会のあと、もうこの日が高校生活最後ってときに、私は仲良しの親友たちと、1人でいるTちゃんに声をかけて喫茶店に行った。

高校で一度くらい友達と過ごせた思い出があったっていいじゃない?

そんな一さじの情けのような感じもあった。

親友たちは若干不満そうだったけど、何も言わずに付き合ってくれた。

大学になっても、私はTちゃんと縁があった。

Tちゃんは親友と同じ大学だったから、親友に会いに行くと時々キャンパスライフを送るTちゃんに会ったりした。

Tちゃんは相変わらず変わっていて、カバンの中に亡くなった愛犬に似た犬のぬいぐるみを入れてニコニコしながら歩いていた。

私は思わず声をかけた。

Tちゃんはうれしそうに近況のようなものを報告してくれたように思う。

親友は横で怪訝そうな顔していた笑

『もう〜声かけたらこれからも声かけなきゃいけなくなるじゃん』と少し怒りながらも、親友は『まぁ、、、Tも相変わらず元気そうで良かったわ』と、ちゃんとTちゃんのキャンパスライフを気にかけていたようだった。

大学卒業後にFacebookで久しぶりに連絡をくれたTちゃんはアメリカにいて、髪型は坊主になっていた。

ソーシャルワーカーになりたいのだと夢を教えてくれた。

私はなんだかホッとした。

アメリカなら、きっとTちゃんも少しは楽に生きられるのではないか?と思ったから。

日本より多様性が認められる社会で、恋愛をしたり、家庭を持ったりできるんじゃないか?とそんな風に思ったから。

でも、いつの間にかFacebookからもいなくなってしまっていて連絡は取れなくなった。

私はTちゃんの存在は宇宙からの贈り物だったんじゃないかと思っています。

彼女は私たちの常識を試し、自分を貫く強さを見せてくれ、個性と優しさを示して去っていった。

私はいつまでもTちゃんのことを忘れないと思う。折に触れてユニークな彼女の姿を思い出してはニヤけるんだと思う。

またいつか、会えるといいな。

(おしまい)

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