【宇宙からのお試し】感情のめりこまなければ、楽に生きられるということ。
- 2024.04.02
- 2024.04.03
- コラム
こんにちは。さきちです。
ちょいと間、空きましたね〜。すみません。
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2024年4月2日火曜日 晴れのちくもり
もう4月ですね。桜も少しずつ咲いてきました。
3月末から母が来県していまして、数日いてくれて、また昨日東京に戻りました。
母とは昨年の8月以来で、約7ヶ月ぶり。
母が来ていたこの期間、私が感じたことは
想像よりエネルギーがブレなかった(安定していた)という感覚。
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母といると良くも悪くも感情の波が激しくなるのを知っていました。(ものすごく感動したり、笑ったり、イライラしたり、悲しくなったりなどなど)
これって、大人になると結構キツいですよね。笑
だから、感情をぶらさないよう私が特に気をつけていたということもあります。
母はいい意味でエネルギー激しめ(行動力がある、エネルギッシュ)なので、うかうかしていると完全にその空気に飲まれます。笑
いますよね、そういう人!爆
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普段グチを聞いてくれる人があまりいないので、気がつくと母からはいろんなグチがこぼれ落ちてきます。(たぶん無意識)
一緒に暮らしている兄のことなどね。笑
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すると私はすかさず受け流しながら、そっと話題を変えたり、笑い話にしたり。軽く受け止めて励ましたり。
あらゆる方法で、感情的にならないように気をつけていました。
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母は無条件で愛を与えてくれる存在でもあり、エネルギーをモロにぶつけてくる人でもあり、なかなか扱いが難しいキャラです。
でも憎めないみたいな笑。
家族って本当に学びが深い。そして面白い。
みんなきっとそうだと思う。
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エネルギッシュな人に対しては、自分の軸をしっかり持って対応する必要があることを知っておくと、自分の防御力が上がるし、何かと便利です。
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エネルギーが穏やかな人の場合(とても優しくて繊細な人など)、エネルギッシュ系の人と会うと、想定外に疲れてしまうことが多いです。
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でも、それって感情が揺さぶられる・自分に使うエネルギーが減るからなんですよね。
例えば、スケジュールなど相手にどうしても合わせる時間が多くなることで、自分のペースが乱される。
やりたかったのにできなかったぁ…とか、”我慢“が増えたりしますよね。
あるいは『やってあげる』『もてなす』という精神は、相手のエネルギーに同調することであり、多くの氣を向けるということ。
すると自分の氣(自分のためのエネルギー)がすり減ってしまうことになります。
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だけれども、その点がわかっていれば、
自分の守りたいペースは守り、やりたいことも我慢せずやれる範囲でやろうと思うことができます。
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そんなわけで3泊4日、私はほとんどエネルギーを乱さずに過ごすことができました。
感情がほとんど昂ることがないことに、自分でも驚きました。(その反面、感情に浸るということもできなくなりましたけどね笑)
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そして、母が帰った翌日、
父から『脚力が弱り歩けなくなった』と、連絡がありました。
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私はこのメールをみて、宇宙から試されているな…と直感的に感じました。
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自分の世界を創るため、『この方向でいいの?』という宇宙からの見えないテストがあります。
何度か『こういうとき、どうする?』と試されるような現象が目の前に起こります。
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私は
『感情を乗せすぎない』
『自分のペースを守る』
『平和で安心な自分でいる』
といったようなことをここ最近決めていました。
なので、
ネガティブなエネルギーに対して心を激しく動かさない。
これが肝要だと、このとき感じていました。
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父は元々、脳梗塞以降、歩行は良くなったり悪くなったりでした。
杖をつかずに歩けるようになったこともあれば、なかなか歩けないこともある。
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文面を見た瞬間は、私もネガティブな印象を受けました。
でもその後私の感情は大きくブレることなく、また平和な気持ちで返信しました。
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とにかく私からは愛を表現するしかない。
だからと言って、自分ができること以上の責任感で、自分を潰さない。
私は感情を動かさない”中庸”の精神を保ちつづけました。
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すると、とても楽なのです。
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1日を過ごす中で、ときどき父に『何かしてあげたい』衝動が起きたり、
悲しみや切なさみたいな感情も湧いたけれど、すぐにまた平和な自分に戻る。
目の前のことを楽しむ気持ちでいるということが大切です。
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この世には、私たちには想像もつかない学びがある。
不公平や不幸としか思えないこともあるけれど、そこに何かその人が望む氣づきがあることも、なんとなく知っている。
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だから歩けなくなっても、病気になっても、一文無しになっても、孤独でも、
その中で、何か大切なものをその人の魂は学び取ろうとしている。
今の自分には、到底理解し得ないものなのかもしれない。
だけど、なんとなくわかる。感じる。
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私たちは、宇宙のこと、世界のことをほとんど何も”知らない。”
でも”知らない”ということを、知ることはできる。
無知の知、ですね。
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知らないけれど、想像できて、創造できる。
無知だけれど、果てしなく偉大な存在でもある。
それが私たち。
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家族であっても、その人にはその人だけの学びがあることを忘れないでいたい。
たとえ、はたから見たら辛い状況にあるとしてもね。
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起きる事象に意味はない。
意味付けするのは、私たち。
どんな意味をつけるのか?はたまたつけないのか?
それもまた自由。
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私は父も母も愛している。
だけれど、みんなそれぞれが自由。
それぞれが偉大で、尊い。
素晴らしく素敵で美しいと感じます。
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だから余計な干渉は不要なんだよね。
向けるのは愛と、平和と、安心だけ。
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みんなもどうか自分以外の責任を負わないで。
罪悪感を持たないで。
それぞれの学びを尊重して、自分に集中していよう。
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それじゃ。またね。
P.S 次の日、父から来たメールには『歩けるように頑張って訓練するからね。ありがとう。』とのこと。
明るく前向きなエネルギーが伝わってきました。
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