私たちは未来から過去を見ているのかもしれない

私たちは未来から過去を見ているのかもしれない

こんにちは。さきちです。

今日感じた不思議なことを書いておきます。

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今日の夕方、急な夕立があって、虹が出た。

私から見える空の半分は雨雲で、半分は青空だった。

秋の空はとても広く

目の前がパッと開けたような感じて、

おかげで心の視界も

とても良好な気分がした。

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窓からは秋の風がフワッと入り

気持ちが清々しく、

空をただただ眺めていると…

突然、空がこう言った。

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『もう大丈夫だ。よく、ここまで来たね。』

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私は、この瞬間、

どこか遠い

はるか遠くの

別の場所と繋がったような…

そんな感じがした。

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そのあとしばらくして

不思議な感覚がやってきた。

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私には

この世界が(私の人生なのか、それとも地球なのか宇宙なのかわからないが)

すでにもう終わっていて

私たちは自分の人生を

思い通りになったり

ならなかったりしながら

ただ、録画されたテープを再生して

眺めているに過ぎない。

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そんな気がした。

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このシステムは

あらゆる争いも

災害もいざこざも

すべてが臨場感に溢れて体験できる

映画のようなもので、

私たちは映画の中に没入することで

この”私の人生”というものを

まるで”自分のもの”かのように体験できる。

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全てが起きるべくして

寸分違わぬタイミングで起きる。

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全て自分の意思で決めているようで

実は全て決まっている。

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それが再生されるにすぎない。

そのようにプログラミングされている。

(そんな風に思ったら、人生まるで面白くないけどね)

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この人と、このタイミングで出会い

関係を築き、

この出来事が起きる。

その積み重ねで

“人生”というテープが構成されている。

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私がこの時点でこのことに気づくのも

予定通り。

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そんなことを言ったら

人生生きる意味はないじゃない!

何も面白くない!と思うかもしれないね。

でも、この先起きることを

ここに生きる私たちは知ることができない。

少なくとも、

自分で『決める』と思えることには変わりないし、

このシステムを知ったところで

私たちは頭と身体を持ち

絶妙に設計された現実のおかげで

この映画を臨場感を持って引き続き楽しむことができる。

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この身体と、思考と、スピリットで楽しむ。

それがこの度決めてきた私たちの人としての旅。

なんだと思う。

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私たちは”流れ”の中にいる。

その中で、自由な意思があるように思えるのも

緻密に作られたプログラミングの中で起きていること。

私はどこかで

この場所にいながら、

同時にこの映画を見ている人の感覚がある。

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それがこの空の向こうから伝わって来た言葉。

『もう大丈夫。よくここまで来たね。』だった。

きっと別次元にいる私のつぶやきが

フッと聞こえてきたんだと思う。

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テープの再生はいよいよ、クライマックスなのかも。

世の中は相変わらず、いや、もっとさらに混沌としてきているように思えるけど

結末はもう決まっている。

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そのことをものすごく強く感じる。

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この感覚をわかってもらうには、とても難しいのかもしれないけれど。

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結末はもう決まっている。

どう転んでもハッピーエンドだよ。

そこまで私たちはどうにか辿り着こうじゃないか。

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あるようなないような自由意志で。

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私たちは止めることが許されない映画の中で

ひたすらに役割を全うしながら

スピリットが震えるような体験をしていこう。

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何が起きるかはお楽しみ。

すでに決まっている。

肩の力を抜いていこう。

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さあ、最後まで走り抜けよう。

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