何があっても大丈夫だと知っていること

何があっても大丈夫だと知っていること

こんにちは。さきちです。

少し間が空いたかな?

今日は2ヶ月半ぶりに美容院に行きました(唐突な報告)。

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昨日の夜寝る前に、突然ポンと来た(自分からの)メッセージ。

それはね、

『真理はシンプル。だが複雑なこの世界でシンプルを貫くのは難しい。』

ということ。

『だからこそシンプルで居続けること。それには強さと信念がいるのだよ。』

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でね。

そのシンプルってことは、具体的になんのことなのか?

自分に、さらに深く聞いてみると、

『何があっても大丈夫だと言うことを知っていることだよ。それだけを心に持っていることだよ。』

ということらしいんだよね。

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これはね、私だけが大丈夫なんじゃなくて

全ての人が大丈夫なんだということ。

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そして

『何があっても大丈夫だと知っていること』

というのはね、

知っている』というのが

実はとても大切なポイントなの。

..

『信じている』でもなく

『思っている』のでもない。

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『(至極当然のこととして)知っている

という意味であり、その感覚なんだ。

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地球は丸いとか、ここは日本だとか

そういうレベルで『知っていること』。

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そうは言っても

こういう気持ちになれることって

普段の生活では

なかなかに…ないと思う。笑

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なぜかというと、

『大丈夫だと知っている人がとても少ない』から。

大丈夫じゃないという人が

周りにたくさん居たら…

長い間そういう教育をされていたら…

本質的に”知っている”人も

大概は流されて

やがてはその感覚がこぼれ落ちていってしまう。

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そんな風に

複雑に複雑に育てられた私たちは

結果…

ほぼほぼみんな

人生はそもそも大丈夫じゃない

と思うような大人になった。

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お金とか健康とか

子育てや介護とか

仕事とか人間関係とか。

自分の人生について

常に

何か大丈夫じゃないことを探しては心配している。

それがみんなの今の当たり前の世界だからね。

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私が知る

大丈夫っていうのは、

この世で生きるのにどうにかなるってこと以上に

たとえ

この世で生きられなくなっても大丈夫だってこと。

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つまり誤解を恐れず言うのなら、

たとえ死んだとしても大丈夫だってこと。

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もちろん簡単に死にたくはない

と言う気持ちが、私にもある。

子供はまだ小さいし、見てない世界の国々もある。

でも私は、

幼いときからいつもどこかで

自分の『生』に対して執着があまりなかった。

死ぬならみんな一緒に死ねたらな、なんて思ってる子供だった。

言ったことはないけどね。

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だから今も

心のどこかで

そんなことを感じてる自分もいる。

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大切な人が死ぬのは嫌だけど、

自分については『まぁいいか』と思える節がある。

おそらく深いところでは

この世で死んだとて、身体的に終わるだけで

魂は不滅だってことを

知っているからなんだと思う。

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だからね、例えばワクチンがどうとか

総裁選や大統領選がどうとか

暗殺未遂がどうだとか

社会の中で起きてる物事を悲観して

(もちろん無関心でいろってことじゃない)

日本がダメになってしまう(プルプル…)

というような情報にばかり目を向けるのではなくて、

そしてそれらを

がむしゃらに解決しようとするのではなくて、

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日本は実は半導体がすごいとか

新しい技術も次々出て来ていること、

子どもたちにも大人たちにも、

たくさんの可能性があることをもっと知ってほしい。

明るい方に目を向けて欲しい。

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おそらく生きている以上、懸案事項は消えない。

その懸案事項にずっと心を奪われてしまうのか

それとも

今あることを感謝を忘れずに、人に優しく自分に優しく楽しくたくましく生きるのか。

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私はこの胸の深いところにある

安心感を見ていたい。

泉のような場所に足を浸し、気持ちよさそうに座る自分の姿が見える気がしている。

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私たちは日本という恵まれた世界に生まれている。

それだけでもう素晴らしい。

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どんな風になっても

あなたは大丈夫だよ。

だから思い切りいけ。

思い切り楽しめ。

今という瞬間を、あなたらしく

いつも新しい気持ちで

強く明るく生きろ。

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そんな心持ちでいれば

すべてまるっと大丈夫。

それでは、また。

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