何があっても大丈夫だと知っていること
- 2024.09.20
- 2024.09.21
- コラム
こんにちは。さきちです。
少し間が空いたかな?
今日は2ヶ月半ぶりに美容院に行きました(唐突な報告)。
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昨日の夜寝る前に、突然ポンと来た(自分からの)メッセージ。
それはね、
『真理はシンプル。だが複雑なこの世界でシンプルを貫くのは難しい。』
ということ。
『だからこそシンプルで居続けること。それには強さと信念がいるのだよ。』
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でね。
そのシンプルってことは、具体的になんのことなのか?
自分に、さらに深く聞いてみると、
『何があっても大丈夫だと言うことを知っていることだよ。それだけを心に持っていることだよ。』
ということらしいんだよね。
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これはね、私だけが大丈夫なんじゃなくて
全ての人が大丈夫なんだということ。
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そして
『何があっても大丈夫だと知っていること』
というのはね、
『知っている』というのが
実はとても大切なポイントなの。
..
『信じている』でもなく
『思っている』のでもない。
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『(至極当然のこととして)知っている』
という意味であり、その感覚なんだ。
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地球は丸いとか、ここは日本だとか
そういうレベルで『知っていること』。
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そうは言っても
こういう気持ちになれることって
普段の生活では
なかなかに…ないと思う。笑
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なぜかというと、
『大丈夫だと知っている人がとても少ない』から。
大丈夫じゃないという人が
周りにたくさん居たら…
長い間そういう教育をされていたら…
本質的に”知っている”人も
大概は流されて
やがてはその感覚がこぼれ落ちていってしまう。
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そんな風に
複雑に複雑に育てられた私たちは
結果…
ほぼほぼみんな
人生はそもそも大丈夫じゃない
と思うような大人になった。
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お金とか健康とか
子育てや介護とか
仕事とか人間関係とか。
自分の人生について
常に
何か大丈夫じゃないことを探しては心配している。
それがみんなの今の当たり前の世界だからね。
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私が知る
大丈夫っていうのは、
この世で生きるのにどうにかなるってこと以上に
たとえ
この世で生きられなくなっても大丈夫だってこと。
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つまり誤解を恐れず言うのなら、
たとえ死んだとしても大丈夫だってこと。
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もちろん簡単に死にたくはない
と言う気持ちが、私にもある。
子供はまだ小さいし、見てない世界の国々もある。
でも私は、
幼いときからいつもどこかで
自分の『生』に対して執着があまりなかった。
死ぬならみんな一緒に死ねたらな、なんて思ってる子供だった。
言ったことはないけどね。
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だから今も
心のどこかで
そんなことを感じてる自分もいる。
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大切な人が死ぬのは嫌だけど、
自分については『まぁいいか』と思える節がある。
おそらく深いところでは
この世で死んだとて、身体的に終わるだけで
魂は不滅だってことを
知っているからなんだと思う。
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だからね、例えばワクチンがどうとか
総裁選や大統領選がどうとか
暗殺未遂がどうだとか
社会の中で起きてる物事を悲観して
(もちろん無関心でいろってことじゃない)
日本がダメになってしまう(プルプル…)
というような情報にばかり目を向けるのではなくて、
そしてそれらを
がむしゃらに解決しようとするのではなくて、
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日本は実は半導体がすごいとか
新しい技術も次々出て来ていること、
子どもたちにも大人たちにも、
たくさんの可能性があることをもっと知ってほしい。
明るい方に目を向けて欲しい。
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おそらく生きている以上、懸案事項は消えない。
その懸案事項にずっと心を奪われてしまうのか
それとも
今あることを感謝を忘れずに、人に優しく自分に優しく楽しくたくましく生きるのか。
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私はこの胸の深いところにある
安心感を見ていたい。
泉のような場所に足を浸し、気持ちよさそうに座る自分の姿が見える気がしている。
,
私たちは日本という恵まれた世界に生まれている。
それだけでもう素晴らしい。
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どんな風になっても
あなたは大丈夫だよ。
だから思い切りいけ。
思い切り楽しめ。
今という瞬間を、あなたらしく
いつも新しい気持ちで
強く明るく生きろ。
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そんな心持ちでいれば
すべてまるっと大丈夫。
それでは、また。
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