あるのはただ、自分への信頼だけ

あるのはただ、自分への信頼だけ

こんにちは。さきちです。

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自分との対話って、黙ってると結構難しくないですか?(唐突)

私はよく、運転中に1人でしゃべって対話を試みてます。(ガチ

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(個人的な疑問で)こういうときどうしたらいいと思う?

とか

(世の中のできごとや人々の反応など)これってどう思う?とか

そういうことを友達と会話するかのごとく

自分で自分に聞いてます。

ハードル高い?笑

慣れたら簡単にできるんだけどね( ˊᵕˋ )

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毎日毎日、ニュースを見てたら

日本でも世界でもいろんなことが起きてるんだけど、

それに対して

いちいち何かを思うことは必要なくて

むしろ

激しく心を揺さぶられないように注意する必要すらあって、

情報を得る時には、

その事柄から少し距離をとって

客観的に見ていくことが大切だと思う。

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ある出来事に対して、

例えば解説とかが載ってたり

あるいは解説する人がいたとしても、

それがどんなに自信を持って言い切ったものだとしても

『ほんとに?』

という視点は常に持つ必要があると思うんだよね。

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解説者の意見に全乗っかりするんじゃなくて

私はどんなふうに感じてるか

言葉に出来なくてもいいから、

いい感じなのか、嫌な感じなのか

そのくらいでいいから

自分なりの答えを持っておくことが

とても大事だと思う。

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頭がグワーっと回ってる時や

感情に飲まれている時はそれが出来なくても

少し落ち着いたときに

ゆっくりとした流れを感じられるときにでも

自分にとっての真実はなんだろうって

自分に聞いてみると

必ず”答え”がわかります。

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それは明確なものじゃなくて

ぼんやりしたものかもしれないし

すぐに答えが出ないかもしれない。

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でもいずれ

人それぞれ

きっとこれが答えだとわかるときがやってくる。

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そしてそれを

誰も否定することはできないってことを

ただわかっておけばいいんだと思う。

..

私が今日感じたことは

私だけに通じるものかもしれないし

あるいは誰かの参考になるかもしれないけれど

それはどちらでもよくて

感じたことに

自分がどれだけの真実性を感じられるか、

ということが

何よりも重要だと思っています。

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そして

私の中にあるただ一つの揺るぎない真実は

自分はこの大いなる自分を信頼している

ということ。

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大いなる自分ってなんなのか

正直その正体もわからないけれど

私の向こうに

私とつながったもう1人の”私”らしきものがいて

その大きな私らしきものが

絶対的な安心感を持ってそこに居る・在る

ことだけは、いま確信できる。

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なぜだかわからないけれど

この謎の安心感を

私はこれまで生きている間

片時も離れることなく

ずーっと持ってる。

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特に感じるのは

何か判断に迷ったときや

自信を失いそうになったとき。

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今思い出せるのは…

バイトの面接に遅刻してしまって

その場で怒られて不採用になったときや

ガチで道に迷って泣きそうになったとき笑

中学受験で第一志望に落ちてしまったとき

大学院の試験でほとんど落第して母に助けを求めたのに、叱咤されあっさり電話を切られたとき

などなど

無数に在るこの世での『失敗』や『恥ずかしいこと』『悔しいこと』『忘れたいこと』『つらかったこと』も

思い返せば

大きな私らしきものがずっとそこにいて

見守っていて、

理由はないけど

『まぁ、、、大丈夫か、な』と

思える精神的な余力を与えてくれていた気がする。

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私が一般常識に照らして

良いか悪いかにかかわらず、

(人から責められるようなことをしていても)

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自分の体感で人生が良いときも悪いときも

大きな”私”は常に一定の状態で

言葉はないけど

ただ絶対的な安心感

感じさせてくれていたように思う。

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ただそれだけ。

言葉で何か言ってこない。

でも感じる。

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その大きい私らしきものから

現実を生きる私が得るものは…

自信があります!とか

自分が好きだ!とか

そういう軽々しく表現できるものじゃなくて、

言葉で言うなら

『理由なき信頼感』なんだよね。

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自分を背後から包むような

なんだかわからないけど大きいもの。

少しあたたかい気がする。

例えるなら

霧のような、白くてほんのり明るい感じのもの。

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その大きい私らしきものを想う時、

私たちは

単なるこの身体を持つ

“自分自身と認識できる私(触ることができる私)”だけじゃなくて

確実に

共に生きる何かがいる。

ということなんだよね。

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幽霊とか神様とか

たとえ目に見えないものが信じられなくても

みんな自分のことはなんとなくわかるでしょう?

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大きな私らしきものを

神と言うかどうかも、

はっきり私はわからないけれど

それは常に

本当に常に

自分と一緒に自分の人生を生きていて

何があってもOKを出しているということ。

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そして

それはこの世の言葉を駆使しても

明確に表現できないけれども

それでいいってこと。

それが、わたしにとっての真実だからね。

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これ以上言葉を使うと

逆に捉えにくくなる気がするので

この辺で。

みなさんも、自分にとっての揺るぎない真実を見つけてみて下さい。

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それでは、またね。

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