自分という境界線をゆるませると‥とてつもなく楽になる。
- 2024.11.20
- コラム
こんにちは。さきちです。
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私はもしかしたら
とても大きな前提となる部分を
勘違いしていたのかもしれない。
自分らしくとか
そのまんまの自分とか
そんなの考えなくて良かった。
“ただそこに在る。”
それだけで‥
すべて始まり、そして完結していた。
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エゴをなくすとか
思考をなくすとか
内側を見るとか
そういった
スピリチュアルや哲学の考え方を用いて
あるいは瞑想や修行で
悟りとか覚醒を目指すということは、
ある種、この世界での生きづらさをなくしていくことを目的としていて、
そこを目指して
みんなそれぞれの道を歩むわけだけれど。
そもそもさっき言った
エゴをなくす
思考をなくす
内側を見る
というのは、実はすべて
『自分』という確固たる存在を前提として行われる作業であり
盲点になりがちだけれど
全て『自分』を中心としてさまざまな技法(チャネリングとか手放しとか)考えられている。
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これがエゴかどうか?
これが思考かどうか?
こういった考え方自体、
“自分発信”のものを判別する作業だし、
“内側を見る”と言うときにも
自分とはどんな存在なのか?
ということを見ているんだから
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どこまでいっても
結局自分とは何か?
という問題から離れられない。
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たとえ
全てはつながってるとか
ワンネスだとかいったところで、
それですら実は
“自分”というものがあるという前提で、
“繋がり”や”1つ”
という観念を考えている
ということに気づいていない。
繋がりは自分と他との繋がりだし、
“1つ”を考えている時、その”1つ”を見ているのは私という存在なのであって
どんなときも自分から切り離されていない。
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私たちはいつも
自分という存在の個別性と対峙しているし、
あなたには何ができる?
何をすべきで、
あなたは一体どんな人か?
という問題を突きつけられる社会で生きていて
自分とは何か?なんて考えなくてもいい。
なんていうことは言われたことがない。
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もしかしたら
どこかで言われていたのかもしれないけれど
少なくとも私は
生まれてからそのことに気付けるチャンスはなくて、
全くと言っていいほどその視点を持てていなかった。
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全ては自分を中心に。
自分を理解してこそ。
理解して、その上で要らないものは手放していくこと
そういう順序だと思ってた。
確かに世界は
自分を中心にあるのかもしれない。
けれどその自分が何であるか?ということは
考える必要がないということ。
それがポイント。
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そして重要なことは
自分なんてものは、そもそもないという理解。
自分なんて、曖昧そのもので
やりたいと思っていたことは数分後には違うことに変わっていて、買おうと思っていたものも忘れるし、泣いたと思ったら笑っていて。
いつまで経っても理解できるものではないんだって実感する。
自分を知るなんてことが不可能なんだとわかることが
まずはどんなことより最初だった。
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自分なんてものはない、とわかったら
急に枠組みがドンと外れて
ものすごくゆるむことができて
自分らしさなんて考えなくても良くなって、
自分の振る舞いに対しての心の中にある規制がなくなるし
どんな自分だって自分だと受け入れることも容易になる。
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自分という境界線をなくすことが
本当は一番大切だった。
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自分はこんなタイプだとか
自分はこういう性格だとか
何が似合ってる何が似合わないとか
自分らしいとか個性とか
そんなことも考えなくてよくて
そのときその瞬間、思ったり感じたりやりたいと思ったことを肯定して
それが自分だ!とかそんなことも思わなくて良くて
ただ淡々と
粛々と
“そのままの状態”を表現する。ただ行っていく。
そんな感じ。
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今ある自分がどうか?と考えた途端に
自分を振り返った瞬間に
急に『自分』という存在の輪郭がはっきりしてくる。
そのことに気付くと
過去にあった思い出も振る舞いも
どうでもよくて
全てが今に集約していることを思いながら
自分を表現するとかそんな堅苦しく考えずに
自然にしたくなってやってしまうことやできることをやっていく。
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自分に対する評価もなし。
肩書きも地位も言うなれば性別とか年齢とかそういうのもなし。
軽くて力の抜けた状態でいる。
それでいて強くてまっすぐに立っている。
そんな感じ。それがベストだと感じている。
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