目で見えるものだけにとらわれないで

目で見えるものだけにとらわれないで

こんにちは。さきちです。

今日は、久しぶりに海に行きました。

なんとなく、寄り道で。

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久しぶりに行った海は

季節が変わったからか

はたまた自分の内面が変わったからか

これまでとは印象が少し違いました。

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とても穏やかで、優しく包み込むような

“一体感”を感じました。

自分と世界との境界線が薄くなったからかもしれません。

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でね、私は人のオーラとか神さまとか

龍や妖精さんなんかを

肉眼で見たことはほとんどなくて

どうして見える人と見えない人とがいるんだろう?

そして私はなぜ見えないのか?

見えるものならみてみたいのに、

と運転しながら思っていました。

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そうしたら

『見える必要がないから見えない』

『目で見えるものに固執しないで』

と答えが返ってきました。

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私たちは目で見える物、

目で見える世界が根本的に全てだと信じています。

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だけど目で捉えられるものなんて

世界のほんの一部でしかなくて

それで全てを把握したような気になる方が間違い、なんですよね。

頭ではもちろん理解しています。

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私たちには誰しも

すでに『感じる』という素晴らしい機能が備わっていて

だけれども『見える』方を圧倒的に優先していると思います。

そう”感じた”けれど、、、やっぱり違うかも、

と自分の得た感覚を

瞬時に否定してしまうことも多い。

誰にも、その感覚の正解や不正解なんて判断できないにもかかわらず。

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この世界は見るものではなくて感じるものだよ、と幼い頃から教えられていたら

私たちの感覚は、もっともっと成長したように思います。

大人になってそう思います。

目を閉じて

耳を澄ませて

どんな音が聴こえる?

匂いは?

私の周りを包む空間はどんな感じがするだろう?

身体の内側は?

視覚を使わないでいる方が

私たちの身体の感覚は鋭くなるように思います。

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外は雨だけど

目を閉じて私の内側はどんなお天気かな?

そんな風に感じてみると

意識がパァーっと自由になる感覚がします。

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私たちは”感じる”ことができる。

違和感や、なんとなくわかる、という感覚で。

肌感覚なんて言うこともありますね。

きっとそうだ、と分かる。

結果的に違ったということはあるけれど

それでもそれがウソだということにはならない。

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感じたものを否定することで、私たちの感覚は鈍くなるのかもしれない。

目で見るものが全てじゃない。

自分が感じた感覚を全肯定していこう。

そう、改めて実感した日でした。

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見えなくても存在しているもの。

その方がはるかに大きくて、

見えている世界よりきっとはるかに素晴らしいものなんだと、

そう確信しています。

だから

見えない部分にあるもの(流れや動き)を信頼して、ある程度任せて、

自分の世界を構築していくことが、

人生を軽やかに楽しく過ごすコツなんだと思います。

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