目で見えるものだけにとらわれないで
- 2024.12.03
- 2024.12.04
- コラム
こんにちは。さきちです。
今日は、久しぶりに海に行きました。
なんとなく、寄り道で。
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久しぶりに行った海は
季節が変わったからか
はたまた自分の内面が変わったからか
これまでとは印象が少し違いました。
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とても穏やかで、優しく包み込むような
“一体感”を感じました。
自分と世界との境界線が薄くなったからかもしれません。
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でね、私は人のオーラとか神さまとか
龍や妖精さんなんかを
肉眼で見たことはほとんどなくて
どうして見える人と見えない人とがいるんだろう?
そして私はなぜ見えないのか?
見えるものならみてみたいのに、
と運転しながら思っていました。
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そうしたら
『見える必要がないから見えない』
『目で見えるものに固執しないで』
と答えが返ってきました。
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私たちは目で見える物、
目で見える世界が根本的に全てだと信じています。
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だけど目で捉えられるものなんて
世界のほんの一部でしかなくて
それで全てを把握したような気になる方が間違い、なんですよね。
頭ではもちろん理解しています。
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私たちには誰しも
すでに『感じる』という素晴らしい機能が備わっていて
だけれども『見える』方を圧倒的に優先していると思います。
そう”感じた”けれど、、、やっぱり違うかも、
と自分の得た感覚を
瞬時に否定してしまうことも多い。
誰にも、その感覚の正解や不正解なんて判断できないにもかかわらず。
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この世界は見るものではなくて感じるものだよ、と幼い頃から教えられていたら
私たちの感覚は、もっともっと成長したように思います。
大人になってそう思います。
目を閉じて
耳を澄ませて
どんな音が聴こえる?
匂いは?
私の周りを包む空間はどんな感じがするだろう?
身体の内側は?
と
視覚を使わないでいる方が
私たちの身体の感覚は鋭くなるように思います。
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外は雨だけど
目を閉じて私の内側はどんなお天気かな?
そんな風に感じてみると
意識がパァーっと自由になる感覚がします。
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私たちは”感じる”ことができる。
違和感や、なんとなくわかる、という感覚で。
肌感覚なんて言うこともありますね。
きっとそうだ、と分かる。
結果的に違ったということはあるけれど
それでもそれがウソだということにはならない。
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感じたものを否定することで、私たちの感覚は鈍くなるのかもしれない。
目で見るものが全てじゃない。
自分が感じた感覚を全肯定していこう。
そう、改めて実感した日でした。
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見えなくても存在しているもの。
その方がはるかに大きくて、
見えている世界よりきっとはるかに素晴らしいものなんだと、
そう確信しています。
だから
見えない部分にあるもの(流れや動き)を信頼して、ある程度任せて、
自分の世界を構築していくことが、
人生を軽やかに楽しく過ごすコツなんだと思います。
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