愛の泉は枯れないって話

愛の泉は枯れないって話

こんにちは。さきちです。

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なんか急に愛の泉とか言ってごめんよ。笑

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でもさ、フッと”わかる”ことって

実際あるんだよね。

なんも考えてない時に、突然。

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私の体験から話すと

人生のある一定の時間、

孤独とか不安とか

寂しさとか虚しさとか

いわゆる”やりきれなさ”みたいなことを感じ続けていると、

自分の中にある愛の感情って枯れるように思っていたんだよね。

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他人を思いやったり、

人に親切にしたりっていう

基本的な普遍的な愛の表現みたいなことができなくなってしまう感じ。

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だって、人生やりきれないときって自分でいっぱいいっぱいになっちゃうもんでしょ?

人のことなんでマジでどうでもいいやって思っちゃう。

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そして、しばらくすると

他人を羨んだり、ささいなことで憤ったり、人と比べては自分に自信をなくしたり、みたいなことになっていく。

心が落ち込んで、背中は曲がり

気がつくと、いつも地面を見ながら歩いている。

そういうとき、私は生気が蒸発するように思ってた。

それでも踏ん張り続けると、

ある日感情がツーーーって無くなるんだけどね(最終段階)

ある意味では感情があるうちが花とも言える。まだ感じる力が残ってるんだから。

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私もひと通りのネガティブな感情は

もうお腹いっぱい経験してきたし、笑

おかげでなんとなく

自分が感情に引っ張られそうになるときには

そこに

気付くことができるようにもなった。

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客観的に感情を捉えられるようになると

その感情をどのように処理するか、

ある程度選択できるようにもなった。

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自分の感情を冷静にみた上で、

その感情に乗るか

あるいは手放すかを決める。

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でもネガティブな沼に

すでにズッポリとハマってる人に、

『感情を客観的に見ればいい』と言ったところで

机上の空論でしかないことも知っている。

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だってその渦中にいるときは

とにかくそこから抜け出すのに必死だからね。

余裕なんてない。

四六時中その感情に囚われていて

それでも平常心を保とうとする意識と

ネガティブでいたい意識とが常に葛藤を繰り返しているるんだから。

そりゃあしんどいさ。

そんなときに『さあ自分を俯瞰して』なんて…

例えるなら、命の危機にあるのに瞑想しろって言うのと同じくらい不可能だと思う。

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私は、

そのネガティブな沼から抜け出すには

人それぞれが

自分で何か大切なことに気付いていく必要があると思っていて、

誰かが手助けをしてあげることはできても、

最終的に抜け出るには

必ず自分の力で

『やー!!!!』

って出る覚悟が必要だと思っているんです。

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具体的な方法は

時間の経過による諦めかもしれないし、

本で読んだ誰かの名言かもしれないし、

映画やドラマのセリフかもしれなくて、

きっかけはわからない。

でも抜け出したいと願うなら

その必ずきっかけはやってくる。

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私のきっかけは、

見上げたときに見えたお日さまの光だった。

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そして、

少し感情に余裕ができたなら

自分から人に優しくしてみると、

そのエネルギーが、

実は自分の内側にも癒しを与えていることに気付くと思う。

優しくって何も大それたことをする必要はなくて

通路が狭かったら先に通してあげるとか

エレベーターでボタンを押してあげるとかまぁできることでいいと思う。

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人に優しくすることは

自分のためだと私はつくづくそう思う。

そのエネルギーを出すと、必ず戻ってくるんだから。

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でね、それが全ての元気の源である愛のエネルギーの循環になるなんだよね。

循環していると愛の泉は決して枯れない。

人生に疲れ切って、

もう一雫の親切もしてやらない、

できない、私の愛は枯れたんや!と思っても、

源泉は絶対に枯れていない。

なぜなら

これまで周りの人から受けた心からの愛が

知らず知らずのうちに泉の水をいっぱいにしているから。

愛をもらったかどうか忘れた、

あるいはそんなの受けたことがないと思っていても、

私たちがそれなりに大きくなったということは

それは自然や食べ物や

間接的であっても誰かしらの愛によって

そうなったということなのだから。

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ただ、もし愛が枯れたように感じるなら

今は泉の水がどこかから漏れてるのかもしれない。

穴を塞げばまた元通りになる。

その穴を塞ぐ行為が、人に優しくするってことなんだと私は思ってる。

優しくするためには実は強さが必要で

勇気だって必要なんだよ。

人生に疲れ果てた人が、それでも、

それでも人に優しくするとき

そこには大きなエネルギーが動く。

そして

やがて大きな癒しのエネルギーとして自分に返ってくる。

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私たちの心と身体は

愛の泉から愛が湧き出て、循環することによって健康的に成り立っている。

ただ、その泉の存在と循環していることに気付いていないだけ。

気付いても実感するのは難しいかもしれない。

言われたところで、よくわからないかもしれない。

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でも確かに、わたしは自分の中に愛の泉があることを感じている。

そして誰しもその泉を持っていることも。

愛の泉は、自分から愛を発することで、よりよく発動して、確かな実感を伴うということもわかった。

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スーパーでたまたま会った知人が

別れぎわ『気をつけてね〜』と、優しく言ってくれた。

私はその言葉とエネルギーだけで

自分がとても癒されていることに気付いたし、

きっとどんな人も、似たような経験ってしたことがあると思う。

当たり前が実は当たり前ではなく

とても、貴重で大切なエネルギーの交換だったということを理解していく必要があると思う。

誰かに笑顔を向けること、元気に挨拶をすること、

丁寧に対応すること、優しい言葉をかけること。

これだけで、本当に世界は変わるとわたしは思う。

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