魂の邂逅〜マリア信仰をしていた頃

魂の邂逅〜マリア信仰をしていた頃

こんにちは。さきちです。

今日は午後から久しぶりに晴れ間が覗いて

気分もアゲアゲでございます。

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さて皆さまは、

魂から出た想いに

今を生きる私たちが気づいたとき起こる現象というのを知っていますか?

それは訳もなく泣いてしまう、

という事です。

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わたしは今朝、この体験をしました。

この時のわたしは『なぜ泣いているのだろう』と理性は思っているのに

身体は嗚咽するほど泣いてしまうという状況でした。

ここにいる私は

泣いていることを理解できないけれども

ただ魂と繋がっている身体が、

=心臓を中心とするハートのチャクラが

バーンと開いて、

そのエネルギーが脳を刺激して

感情を伴わずに反応している…という不思議な現象。

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わたしは何に泣いたか?

それはかつて敬虔なマリア様信仰をしていた頃の記憶を思い出したこと、そしてそのご加護を今世も、現在まで受けていたことを知ったからです。

その記憶を呼び覚ましたのが『アヴェ・マリア』

音楽でした。

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私は今回の人生ではマリア様とは一線を画された人生でした。

しかし、私の兄弟はクリスチャンの幼稚園、学校に縁がありわたしもクリスマスのミサや日曜の礼拝に通った思い出があります。

私が心惹かれたのはいつでも

磔にされたイエスではなく、人々を優しく見守るマリア像でした。

また、小学校や中学校の受験でカトリックの学校に行った際、

シスターと呼ばれる教員たちを目にした時、

なぜだか懐かしく、しかし近づくのが怖いという不思議な想いに駆られたことを思い出しました。

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最近の私はとても黒を好んでいて

全身黒ということも珍しくありませんでした。

以前はとてもカラフルな服を好んで着ていたのに不思議でした。

実は…それはシスターの服だったんです。

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結婚式のウェディングドレスも、一目見てマリア・ヴェールに決めました。

マリア様はいつでも私のそばにいました。

しかし今世ではわたしはマリア様にお仕えすることを通してではなく、

別のことを通じてマリア様のエネルギーを人に渡すことを選びました。

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私は過去、修道女であったと霊能者の人に言われたことがあるのを思い出しました。

そのときはピンと来ず、あまり深く考えずにいました。

しかし数年後、私に大きな気づきを与えてくれました。

マリア様と共に過ごし、お仕えすることを人生の目的としていた時代から、わたしはまた別の経験をすることを選びました。

過去生については私の考えでは

自分自身がそれであったというよりは

その人生を生きた経験(それは誰であったかわからないが魂の繋がりが大きい者)を色濃く持ってきた可能性が高いと思っています。

それは今世、必要に応じて濃くでたり薄いままであったりすると感じます。

私の今の状況においては

マリア様との繋がりが大きかったその経験を思い出すことが必要だったという感じです。

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マリア信仰は、キリスト教においてもある種、異端というか認められていない側面もあります。

なので当時も迫害とまではならずとも、人目をはばかって信仰していたように感じます。

孤独な人生だったかもしれません。

それほどまでにマリア様を信仰する心はどこにあったのか?

マリア様を思うとき、大きく広がる優しさと同時にその優しさを支えている強さを感じます。

優しくいるためには強くある必要があります。

100人のうち99人がその人を助けないと決めても

自分は助ける。

なぜその行為ができるかというと、自分の中に自分を超えた愛が存在しているから。

出そうと思えば湧いてくる。

それが愛。

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私がマリア様を思うとき、

マリア信仰を通じて得た純粋さと強さと優しさ、そして人間としてそれらの間で悶えた1人の女性の人生が写し出されます。

きっと恋愛すらままならなかった。

だからわたしは今世で家族を通じて当時できなかった経験をさせてもらっている。

それが腑に落ちる出来事でした。

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