【人間関係の学び】3度目の正直

【人間関係の学び】3度目の正直

たとえ、この世界で目が醒めたとしても

生活は、

人生は、続いていく。

やり残した学びは

やっぱり回収しておかないといけない。

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わたしはこれまで

記憶にある限り、

人間関係における学びのチャンスから

2回逃げてきている。

と、自覚している。

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わたしには圧倒的に苦手なタイプがいる。

それは自己主張が激しいタイプだ。

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それも女性的な敵対心が根底にある

自己愛が強いタイプ。

なんとなく想像がつくだろうか?

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1人目は大学時代に現れた。

とにかく自分の主張を曲げないタイプだった。

異なる意見を持つ人を言葉でねじ伏せる。

でいて、人に嫌われたくないのか

猫撫で声ですり寄ってくることもあり、そのギャップに正直戸惑っていた。

私は肌感で常に嫌悪感があったので、

なるべく付き合いを避けた。

そうして

大学の間、ただただ、距離を置いた。

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2人目は職場で。

年下の先輩という微妙な立場の人だった。

自分よりも目をかけられる女性の後輩には(私に限らず)、嫌がらせにも似た言葉で攻撃を仕掛けるタイプだった。

1人目よりさらにパワーアップしていた笑

その人を、見るだけでも嫌気がさすほど嫌だったのに、2人だけで出張に行かされたりもした。

一緒に長時間居ることがあれほどキツいと思わなかった。

何度も『いい加減にして』と喉の上の上まで出かけたが、すんでのところで耐えた。

でも今思えば、ちゃんと自分の言葉で想いを伝えれば良かったのかもしれない。

我慢しなくても。

だってそうすれば彼女もほんの少しは人の気持ちを理解するチャンスを得られたのだから。

でも私は大人でいることを選んだ。

寄り添おうと頑張った挙句、自分の心を破壊した。

それはやってはいけないことだったのかもしれないが、そのときはそれが最善だと信じた。

ただ、それが退職への引き金を大きく引くことになった。

他にももちろんいろいろ理由はあったけど、その人に会いたくないという理由も大きく退職に影響した。

嫌悪感が消えないまま、笑顔を張り付かせたまま敵前逃亡した。

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わたしは学びのチャンスを逃したのだと思う。

数年が経ちまた心に引っかかる人が現れた。

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3度目は、保育園のママ友だった。

出会ったとき全く嫌な感じはしなかったのに、

その人の前に行くと、

やり取りをしているとなんだかとても居心地が悪くなった。

自分でも理由は分からない。

決して以前の2人のような圧倒的な”敵”感はない。

でも、言葉では表すことのできないエネルギー的な不和があったのだと思う。

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仲良くしてるはずなのに

どこかで完璧な一線があって

水面下で戦ってるような感じがした。

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前の2人とは明らかに違うタイプだったが、

私には同じ学びであると、直感で理解した。

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紆余曲折あったが、

このママ友と出会ってから丸3年経ち

わたしはようやくこのトンネルを抜けた。

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結論から言うと

私に必要なのは『強さ』だった。

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苦手だと感じるような人たちがいても、関係ない。

逃げ出さないでいる強さ。

なぜ私が逃げなきゃならない?

それは

自分を保ち続ける覚悟のようなもの。

軸をぶらさずに自然と立っていられる自分を確立すること。

だからなに?と言える強さ。

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だけれどもその強さは

対立したり、その人たちを排除するような質のものではない。

強く、優しく。

自然に。

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私の根底にあった罪悪感や無価値観が

『わたしはここに居てはいけない』とか

『よそ者』だとか

『弱いやつ』だとか

ネガティブに派生する評価を

いくらでも自分に向かって投げかける。

その言葉は、あくまでただの言葉であって

実体がない。

言葉に実体があるようにさせるのは、自分の心に過ぎない。

そのことに気付く必要があったのだ。

全ては自分で作り出している虚像だ。

そこに当てはまろうともがいているのが、”私”だった。

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内側で戦いがあるならば、外側の現実でも戦いが起きるのだ。

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自分を守ってほしい。

私はみんなにそれを言いたい。

自分の優しさを、他人だけでなく自分にも向けること。

それは生きる上で最も大切なことなんだよ。

そこに強さと覚悟が必要なの。

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自分の心を壊さないために

社会からも、

周りにいる人からも、

守ってあげる必要がある。

それは自分自身でやらないといけないの。

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すべてはこのタイミングに集約されていた。

私は理解した。

正しいことなんて何もない。

この世界における”正しさ”を知っている者は

少なくともこの世界には生きていない。

何もかもを疑った先にあるのは

結局、自分しかいない。

最終的には

自分が自然体で存在することにしか

“善”が見つけられないことに気付く。

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善は、二元的な枠組みを超えて

自分の内側にある

何にも変え難い”心地よさ”のようなもの。

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落ち着いていて平和で

穏やかで、ほのかに明るくて

揺れがない。

そんな感じ。

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それを、守るために絶対的な強さがいる。

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これらを理解できた時、

彼女に

自然と感謝が身体からグワーっと湧き上がってきた。

彼女に駆け寄って握手してハグしたい気分だった。

その、人の見え方の転換は

想像以上にパワフルだった。

嫌だと思っていたことも、

過去にどんなことがあったかも、

もはやどうでも良くなった。

私の長年かけてできなかった大事な学びを

ここで

ようやく得ることができたんだ!

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不思議なんだけど、そうなると

汚い言葉で罵りたいほど嫌だったことさえあった

その人たちに、愛すら芽生えてくるんだよね。

こんなすごいことを教えてくれるために、その役を買って出てくれたって、分かるから。

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わたしにとっては

ずっと持ち越してきた長年の課題。

重たい気持ちが芽生える人間関係で何を学ぶべきなのか、それすらずっと分からずにいたから。

それがハッとわかった時、

ものすごく明瞭に世界が見え始めた。

自分がどうしていればいいのかがわかった。

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これからは本当の強さと向き合いたいと思う。

このことを今世で理解して学べたこと、

心から感謝しています。

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