まずは一番身近な人と最後の学びを。それからその輪を広げよう。

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こんにちは。さきちです。

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夢で教えてもらったことを書き残します。

世の中には

いろんな”敵”がいるかもしれないけれども、

自分の内側の反映が現実だと分かった段階で、

最も身近な”敵”は、

最も近くにいる人であると分かるだろう。

(”敵”というのは、分かりやすくそのような言葉をつかっているけれど、要は成長のためのきっかけを与えてくれる存在のこと。)

それはパートナーかもしれないし、子どもかもしれないし、親や兄弟かもしれない。親友かもしれない。

会社の上司や同僚かもしれないけど、

とにかく自分にはこの人だろうと、きっと容易に見当がつくと思う。

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実はその人と自分が

鏡写しのように

対の関係である(一部分でも)と気付いた時、

そしてその部分を統合しようと動き出した時、

ものすごい勢いで現実が変わっていく

ということが、私には体感で分かる。

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ここからが核心になるのでよく聞いてほしい。

対の関係ということは、

ペアということなんだけれども、

単に”個人同士のペア”だということ以上に、

つまり、

その人の中に自分を見るという次元を超えて、

その人自体が(まさに)自分であるという感覚を持つことが重要である。ということのようである。

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どういうことか?

もっと正確に言えば、

自分と相手という

個人同士として存在するという感覚よりも

自分である範囲をそこまで広げる(1人として)という視点を持つ

ということがポイントのようである。

誰か(他人)に何かをしてあげる

という感覚を超えて、

自分にしていることにすぎないという感覚になる

エネルギーが行ったり来たりするロスがない。

だってすべてが自分の中で完結しているから。

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誰かのためにと思った瞬間に、

実は分離が生まれている。

私ではない誰かに『やってあげる』。

となると余分にパワーが要る。

なんで私がやらなきゃいけないの?

じぶんでやってよ。とかね。

またやってない。(私がやらなくていいことなのに!怒)

この思考で余計なエネルギーロスが生まれる。

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やってない仕事や家事を『誰がやるか』

自分しかいなければ、自分でできる。

当然のことならば思考はスムーズだ。

人を当てにした瞬間、

その人がやっていないときのイライラが生まれる。

あるいは相手に期待があったり、予想に反した行動をされたとき、

不協和音が自分の中に生まれる。

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対になる人との統合すべき部分を一つ考えてみてください。

自分にとって、一番気になっていること。

毎回モヤモヤすること。

言葉遣いかもしれない、態度かもしれない、仕草や癖かもしれない。

一事が万事、すべては繋がっている。

もしもその人が自分だとしたら?できることはなんだろう?

優しく迎えてあげているか?接しているか?

自分の相手に対する言葉遣いは?声色は?機嫌は?

丁寧に行動できているか?

もしかしたら相手に甘えすぎていないだろうか?

自分なら、自分の相手に対する態度をどんな風に感じるだろう?

さまざまな方向から新しい気づきがないか探ってみる。

自分と相手を一つにできる方法を探してみる。

どんな風に言えば相手は嬉しいだろう?

安心するだろう?

もしかしたら

想像したようにはうまくいかないかもしれないけれど、

その試行錯誤はきっと

私たちの成長にとって大きなステップになる。

私はそこに喜びやワクワクを感じてしまうのだ。

もしも他人を自分のように感じられたら?

大切にできたら?

世界はどんな風に変わるだろう?

これまでになかった考え方に脳みそが奮い立つ。

利他だろうが利己だろうがそんな定義は関係ない。

まずは一番身近な人と、自分をひとつにしてみよう。

できたらさらにその範囲を家族や友達、地域に広げてみてもいい。

そうすればきっと

気付いたら世界にはもっと

光が輝いているのかもしれない。

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