【瞬間的にできる】今より少し幸せに生きる方法を見つけた。
- 2023.09.28
- 2023.09.29
- コラム
こんにちは。さきちです。
タイトルが宗教的な勧誘の文言みたいになってますが(笑)
新しい宗教を始めたわけではなく、(そりゃそうだろ)
これまでと変わらぬ生活の中で見つけた
「今よりちょっだけ幸せに生きる方法」について、
今日は自分のための備忘録。
でもあり、いつの日か誰かがこの記事を偶然に見つけて、生きていくヒントを見つけてもらえたりしたらいいなぁ~。なんて思いながら書いてみます。
それでは、いってみよう。
幸せになるためには
そもそも幸せなんて言葉は、とても抽象的であって、人それぞれ幸せの定義は違うのは承知の上ですが、
もしも幸せを「ほんわかと柔らかく平和な気持ちになる」といった感情のことをいうとして、
自分にとってそういった風な感情になれることに意識を向ける。
大事なことなのでもう一度言います。
自分にとっての”幸せ”に意識を向ける。(それだけ)
ということが今回の話の結論になります。
幸せな気持ちになれる事柄に目を向ける。
あるいはそういった行動をとる。
そしてそれを継続していく。
それこそが今この瞬間に幸せになれる世界で一番簡単な方法だと思います。
※つまり、幸せとは生きていったこの先(少なくとも今よりは先)にあるもので、「今すぐになれるものではない」という自分の中にある固定観念みたいなものを壊して生きる。ということがこの方法の味噌であります。
幸せ?
いつなるの?
…今でしょ!!!
現実社会の中で
そうは言っても、この縦横斜めといろいろいある社会で生きる我々は、幸せ〜なことばかりに目を向けてはいられないことだってあります。
たとえば
仕事に忙殺されていたり、
子育てがしんどかったリ、
山ほどの家事(名もなき家事も含めて)もある。
介護がある人もあるかもしれない。
隣人トラブルに悩まされている人もいるかもしれないし、
あるいはむしろ自分のやりたいことが見つからなくて不安に苛まれたり、
無気力な日々を送っている人もいるかもしれない。
こうして無数にある(やりたくない)日々のタスクに追われ続けるとき、
また心の中で不安や葛藤が続いているとき、
人は虚無感に襲われたり、あるいは無価値感(自分に価値がないと思うこと)でいっぱいになったりしていくことでしょう。
嫌なことやしんどいことにばかりに意識が向いていると、
わたしたちの頭の中や心の中ではいつも
「こんなこと本当はやりたくないのに(ため息😮💨)」「人生ってつらい」「こんなことなら…」
という否定的な言葉や感覚が絶え間なくずーっと流れています。
「めんどくさいなぁ」「会いたくないなぁ」「自分ばっかり」「なんでこんなことになってるんだろう…」などなど
頭の中の会話が止まらず、
やがては自分の人生を振り返って、過去の自分を否定し始めたりもします。
心の中で思ってるだけ。
言葉に出してないからいいだろう。
いえいえ、違います。
心の中で思ったことはすべて「自分」が聞いています。
「否定された」と脳は理解します。
この静かだけど自分にだけ聞こえているネガティブな言葉の数々。その反復が、やがて心と体を壊していくことに繋がります。(静かなるドン…)
では、そんなネガティブの沼にハマってしまったとき、どうすれば良いでしょう?
答えは、
最初の結論に戻って「幸せな気分を脳に味わわせること」。
そしてこれを繰り返すこと。
理論上は、ネガティブの逆パターンをすれば「幸せの沼」の方にハマれるはずですよね。
嫌なことを感じたら、瞬間、そのことに気づき、(これが一番大事)
ニュートラルに戻す。
むしろ穏やかなハッピー状態にする。
たとえば
思い出し笑いをしちゃうくらい好きなお笑い芸人の顔を思い浮かべたり、
好きな人のことを考えたり、
逆にその状況を「次はどうでる?」と楽しんでしまったり、
「そうだ、大好物を買って帰ろう!」と急激にかつ大胆に発想をチェンジしたり、
頭の中は自由なのでどんな妄想も自由です。
とにかくその嫌な感情から一抜けピー!することが大切です。
(黒板消しで消しちゃうイメージもあり)
あれこれとその案件を思案するとズルズルと引きづられてしまいますので、
これまでとは全く関係のない事柄を思い浮かべること・まったく関連のない行動や突拍子もない考えをもつことがポイントです。
(ねぇ、もっとちゃんと考えた方がいいんじゃない?って大人の自分が言ってくるけど、ここはガン無視)
ある種訓練のような感じで、どんなときもすぐに切り替える意識を持っていると、とても楽に生きることができます。
私の場合は、子どもとバカふざけしていることを考えたり、今している行動とはまったく別のことに注意を向けたりします。
その際、物理的に視点を変える(視野に入れない)ということはとても有効なので、
嫌な状況もしくは人がいるとしたら、できる限り違う方向に目を向けて、なんでもいいから目に入った別のモノのことを考えたりします。
物事はすべて捉えよう(捉え方次第)
大人の意識を持つ私たちは、すぐに危険を察知できますし、不安を抱くことができます。
これは決して悪いことではありません。
日常で起きる様々なことの中で、自分にとって「嫌だわぁ」と思うような出来事は、全体の中では割合的にはとても少ないように感じます。
とっても良かったことも少ないかもしれないけれど、まぁ良かったこととか特に何も感じないような出来事が大半なのに、どうしてもネガティブに目が向かいがちです。
夫と会話するときも「今日あった嫌なこと」を真っ先に話しがちです(笑)
でも同じように「ステキなこと」があったり「面白かったこと」もあるはずなんですよね。些細なことであったとしても。
せめてグチるのではなく
「嫌だったように思えても思い返したら笑えること」に昇華して話したいと思っています。
ネガティブは行動を制限する
わたしたちは、日常で起きる全体からすれば割合的には少ないいくつかのネガティブな事象を、とても大きく捉える傾向があるように感じます。
そして、そのネガティブな感情が私たちの経験則に非常に大きく影響し、結果的に将来の行動を制約する方向へと促します。
「やりたい」「やってみたい」「行きたい」「行ってみたい」といったポジティブな子どものような直感を、
「いやいや、似たようなこと前もやったけど、できなかったじゃん。できなかったらまた落ち込むよ」とか
「そこへ行くには旅費がかなりかかるから、あとでしんどい思いするんじゃない?」「遠いし」とか
大人な思考がぶち壊しにかかります。
だよね、やらない方が安全だしね。と、結局やらないことを正当化する方向へと流れます。
私がこれまで自分の人生を振り返って、大きく人生を変えたターニングポイントはやっぱりリスクを省みず行動したとき。なんですよね。
なりふり構わず行動できるときというのは、実際タイミングが合っていたということも言えると思いますし、恐怖より好奇心が勝ったとも言えます。
人生に何幕かあるとしたら、あのときがそのときだったと思います。
当時は生きることに必死で本気で苦しかったけど、(体も壊したし、心も死んだ)めっちゃいい経験をしたと今では思っています。
じゃなきゃ、人の痛みも分からない独りよがりの人生になっていたと思うのでね。
そんな人生を変えるような大転換をしないまでも、
日常でやりたいと思えたことについてはチャレンジしていくのがいいのではないかなと思います。
趣味とか、お出かけとか、会いたい人に会いに行く、とかね。
怖い怖いと思っているうちは、もしかしたらそのタイミングじゃないのかもしれない。
無理にはしごを外すようなこともしなくていいと思う。
時が来たらやれること、それまでの怖さがウソみたいに飛び込みたいと思えたりもする。
子どものような直感と大人の自分にアドバイスをもらって、ベストタイミングで行動しよう。
とりあえずできることからはじめよう!(一歩踏み出しちゃえば失敗も成功も何かは経験できる)ということ。です。
まとめ
✔嫌な感情を切り替える術を身に着けよう
✔切り替えの達人になろう
✔思いついたことはとりあえずやってみよう
それではまた。
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