長女の不調による休暇は、私にも必要な時間だった

長女の不調による休暇は、私にも必要な時間だった

こんにちは。さきちです。

1週間以上、断続的に長女が体調を崩していまして

病院に計4日は行きましたね。笑

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長女は検査で

“いくつかのウイルス”に反応があったのだけれど、

悪さをしていそうなウイルスは

『ヒトメタニューモウイルス』で、

かつて肺炎になったときもこのウイルスだった。

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なかなかここまで回復に時間がかかることは

最近なかったのだけれど(まだ咳は出てるし)、

おそらく時間差で

複数のウイルスの反応が表に出てきていたから、

それも仕方なかったのだと思う。

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でも約5日ほど

長女と日がな一日ゆっくり過ごすことができて

私にとっても気持ちがのんびりした良い時間となったのでした。

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今朝久しぶりに長女が登校して、

私も1人の時間をもらったので、

改めてこの長女と過ごしたしばらくの期間を振り返ってみると…

長女がいることで家での過ごし方が変わり

『できないこと』が増えて

強制的にいろんな作業を中断することが多くなった。

でもそのおかげで

子どものようにゲームに没頭したり、

長女の横で昼寝をしたり、

私はリラックスした心の静養ができました。

きっとそれが今必要だったのだと思います。

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1人でいても実は心が休まっていない。

いつも何かに緊張している。

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長女がいることで『家事も強制的に休まる』。

心もしっかり休みなさい。と言われたような。

そんな体験をさせてもらいました。

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もちろん、ご飯を作ったり薬を飲ませたり

病院に連れて行ったりと

どうしてもしなきゃならないことはあるし、

ずっとゴロゴロしているわけでないけれど。

長女のおかげで

私も自信を持って休めるというか、

予定もキャンセルできるし笑

安らぎをもらえたのも事実です。

看病の時間って、

親としては心配が多くて辛いことが多いけれど

それでも子育ての全体から見れば短い時間だし、

ここまで親が寄り添えるというのも

長い目で見れば成長とともに

どんどん減っていくのかな?なんて少し寂しく思います。

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私たちは長い(と感じるような)一生の中で、

誰かと輝く一瞬を共にして

その思い出をキラキラとして心の宝物にして進んでいくことができます。

何かに傷ついたことよりも

誰かに励まされたことを覚えていたいし、

死ぬ前には愛しか思い出さないことを

私たちは本当は知っていると思います。

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その大切な”一瞬”を過ごすために

私たちは長い時間をかけて、

時には寄り道しながら

藪漕ぎしながら

途中でつまづいて転んだり

あきらめたくなったり

痛い思いをしても

それでも一歩一歩進んでいるのかな?と思います。

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歩んだ先に何があるのかわからないし

わからないからこそ進んでいくのかもしれない。

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一度しか会わなかったあの人の言葉が、

誰かと過ごしたほんの一瞬が、

大切な人の何気ない表情が、

私たちの心にあたたかい灯をともし続ける。

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そんな”忘れえぬ一瞬”を経験できるように

私たちは日々の選択していかなくちゃいけないのかもしれないね。

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