犬と生きるということ
犬が出ているテレビ番組が観られない。
この気持ちをわかってもらえる人がいたら、とてもうれしい。
わたしは、小さな頃から犬が大好きで、
買ってもらった犬図鑑を眺めては「いつかふわふわの子犬を抱く」ことを夢見ていた。
その日は突然訪れた。
私は小学校3~4年生だったと思う。
動物好きの母が、新聞に載っていた人のところへ「子犬をもらいに行こう」と言ったのだ。
生まれてから2ヶ月ほどのその子犬は、我が家にやってきた。
ゴールデンレトリーバーという種類で、わたしが夢見ていたふわふわの子犬だった。
その子犬が我が家にやってきた日のことは、今でも鮮明に覚えている。
慣れない場所に緊張した様子で、家のあちこちにおしっこをして「自分の居場所」を探していた。
夜寝るとき、家族分の布団を引くとその上にまっしぐらに走っていった。
ぴょんぴょん跳ねてこちらを見る様子は、まるで「笑って」いるように見えた。
そうして、彼女は我が家の一員になった。
それから15年。
彼女は7匹の可愛い子どもを産み、この世を去った。
その間に私は小学生から大学生となり、家を出た。
家を出るとき、彼女に似た「犬のぬいぐるみ」を持って行った。
しかし、私は大好きだった彼女を看取ることができなかった。
実家から遠く離れた場所で、彼女が亡くなったことを聞いた。
年老いた彼女は、後ろ足が弱り散歩に行けなくなっていたという。
一人で留守番をすることが多くなった彼女は、どんな想いで日々を過ごしていたのだろう。
幸せだったかな。
亡くなってから、彼女を思い出すことが多くなった。
彼女は7匹の子どもを産んだが、そのうちの1匹(息子)は我が家に残った。
その息子も数年前に亡くなったが、そのとき私は実家にいた。
私は図らずも、一人で「彼の死」に直面した。
命がこの世から消える瞬間を共にしたのだ。
亡くなる日の朝、私の母が出かけるときに彼は「クゥーン」と小さく鳴いた。
もう動けなくなっていた彼は、寝ながら目だけを母の方へ動かした。
母は「行ってくるよ」と、優しく声をかけた。
彼は「最愛の母」を最後までしっかり見送り、お別れを言ったのだ。
愛おしくてかけがえのない無垢な存在。
私にとって、犬はそんな象徴である。
同時に、私が彼らに何もしてやれなかったことを想うと、途端に胸が苦しくなる。
彼を看取った後、私は少しばかり彼の毛を小さな袋に入れた。
そして自分の財布にそっとしまった。
いつでも一緒だよ。
私の人生に存在してくれてありがとうという気持ちと共に。
ーおしまいー
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