反転した世界に気付け

反転した世界に気付け

真言密教もチベット密教も

究極的には同じことを言っているように

私は感じる。

『真に我であれ』

私たちは

なんて自由のない世界に生まれているんだ!

って、そんな風に思っているかもしれない。

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でも本当は

究極的に自由な世界に生きている。

自由の中で

不自由を感じるためにここにいる。

そして、

やりたい事を、

すべてやらせてもらえる世界に生きている。

私たちは本当は

最初から自由だった。

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私たちが望む不自由とは

自我が感知し得ない希望の表れであり、

ドロドロの感情や愛憎の中で揉まれることである。

クソ喰らえな人生も

実はすべて

自分がやりたくてやっていることに気付けば、

全て終わる。

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なぜなら

冷静になってしまうからである。

自分の人生に対して

非常に客観的になってしまうからである。

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悩みたいから悩み、

苦しみたいから苦しんでいる。

そんなバカな。

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でも、今の私たちの時代では

そんな生々しい感情がなければ

『生』を感じられないからかもしれない。

逆に言えば

そんな現代社会でしか出会えない複雑な感情を

感じてみたいと、

心の底から望んだようにも思う。

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自分がやりたくて、

経験したくて、

そこから這い上がって何を学ぶか、

どんな風に成長するのか

乗り越えるのか知りたくて、やっている。

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自分劇場。

映画『自分』

ドラマ『私』

さぁ、配役はどうする?笑

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怒り、悲しみ、孤独。

自己犠牲、罪悪感。

嘆き、嫉妬、恐れ。無価値感。

全部知りたい。

全部を私の人生で味わえるようにすべからく配置しよう。

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全てが自分の希望に沿って、

全てが的確に

パーフェクトに

お膳立てされる。

宇宙はそれを全て許してくれる。

やりたいことを全てやらせてくれる。

良いか悪いかなど問わずに。

それが”無条件の愛”という意味。

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私たちが

自分を犠牲にしても人のためにやる、

というイメージの愛とは違う。

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どんな自由も尊重することが、宇宙の愛である。

たとえその人が傷ついて見えても、

苦しんで悩んでいても、

困っているように見えても、

その人はその人のやりたいようにやっていて

その人の劇場を展開している。

だから、

もしそんな人が近くにいたとしても、

それが家族であっても、

最後まで学びを見守ってあげること。

必要以上に手を貸さないこと。

それが宇宙の愛。

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でももしも

それでもやっぱりドラマに飛び込みたいなら

それもまた自由だ。

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でもあなたがもう

ドラマに疲れたなら、

新しい価値観の世界に進みたいなら、

私なりの宇宙的処世術を書いておく。

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私たちはもう

ケンカをする必要も仲裁する必要もない。

自ら悩むことも、人の悩みを解決する必要もない。

他人の選択は尊重してあげればよい。

ドラマを続けたい人は続けさせてあげてほしい。

そのために誰かと別れ別れになっても、

それはそれでいい。

時に冷たいと思われるかもしれないけど、

そうする方がいい。

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【自分】についての清算

・過去の人生において、

自分がやりたくて、経験したかったことは、

ちゃんとすべてやってこれていたと理解する。

・つまり、”辛い”と思える経験も

失敗した、挫折した、もっとこうしていればと後悔したことも、

本当は自分の望みであったこと。自分で決めてもたらした感情のドラマだったこと。

全部が大切な出来事だったこと。

だから誰のせいにしなくてもいいんだ。

と、本当の意味でわかること。

・そうすれば、

そっか、自分はこれまでもちゃんとやりたいことをやれていたんだ、と自分に自信が持てる。

人生を肯定できる。

こんな風に人生を振り返ることができれば、

もう過去を思い悩むことがなくなる。

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【他人】に対しての心構え

・他人に対しての見方を変えること。

家族であっても、親友であっても、人はやりたいことをやっている。

彼らにとっての学びを彼ら自身で設定してある。

だからその自由を尊重して、見守ってあげるよう。

あまり深刻にならずに。

・下手に手を貸して、自分を苦しめないようにしよう。(余裕があれば、できることだけしてあげたらいい。)

という意識がとても大事。

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そうすればもはや、悩むことはなくなる。

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嫌な人が現れて

嫌な感情になることも、

自分が経験したくてやってる

それを、瞬時に思い出せるくらいに自分に言ってあげる。

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もし、毎回落ち込んだり、

自己嫌悪になったりの無限ループを終わりにしたいなら

『あ、私もうこの経験要りません!』と

態度で示すこと。

つまり、これまでと同じ反応をしないこと。

そうすれば宇宙は

もうしたくないのね!オッケー!

と理解する。

すると、もう起きなくなる。(まぁ波長が変わるまで、何度かは起きるかもしれないけど)

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うれしいことは喜び、楽しみ、笑い。

嫌なことはできるだけ平常心で。

そうすれば

反応の大きいポジティブなことが

日常的に起きるようになる。

宇宙は反応の大きさをみている。

与える影響の大きさをみている。

凹めば凹むほど、

それがこの子に必要なことだと思ってしまう。

ネガティブはもともと波が大きいから、心はその波に簡単に流される。

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ネガティブがあるから、ポジティブがある。

コインに裏と表があるように。

これは逆説的なんだけど

陰陽のバランスからして正しい。

だからネガティブにいちいち反応する必要はない。

次はポジティブが起きるぞと思えばいい。

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だけどこの先の世界線には

ネガティブもポジティブもない。

(判断する必要がない)

ただ出来事があり、

見る人によって見える場面(側面)が違う

という世界になるように思う。

つまり、同じ場所に居合わせたとしても

見えているものは全く違う。

そういう世界になってくる。

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もっと言えば

やがては

どんな出来事に出会っても

一定の心地よいリズムを刻む自分がいるに過ぎない。

そんな、世界になる。

体感するのは少し難しいかもしれないけれど。

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実は世界は反転している。

私たちは

どんなネガティブ(だと思ってしまうようなこと)も経験できる自由さの中にいる。

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『思い通りにならない』

という体験を思い通りにしている。

思い通りにしたいと思えば思うほど、そうならない。

思い通りじゃなくてもまぁいいかと思えば、意外と思った通りになる。

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見えない世界の大きな海の真ん中に、

目に見える小さな孤島がある。

孤島は見えない海に守られていることを知らない。

だから、目に見えるものだけで右往左往している。

見えない世界は見なくてもいいという

私たちの希望が実現している世界。

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でも私たちが今後、

見えない世界との融合を望むなら?

どうすべきだろうか。

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自分に起きている不都合が

どうして?なんでこんなことが?理由は?

と考えを巡らせるよりも、

『私が経験したくてやってるんだ』と

腑に落ちることができれば、

サーっと感情の波が引いていくのがわかる。

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目の前の事柄がなんだか急に滑稽に思える。

自分劇場。

逆にすごい。

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これ、全部自分が用意した出来事なんだとしたら

逆にすごいやん。

夫婦の不仲も親子の不仲も家族の不仲も、全部。

こんな泥沼、

もうやりたくないなら、

やりたくないことを態度で示さないといけない。

ズルズルと同じ反応を続けているから

同じことが起きる。

必要だと思われるから。

ただそれだけ。

宇宙は毎回チャンスをくれる。

この学びはまだ必要かな?と出来事が起きる。

華麗にスルーできたらクリア。

複雑なことはない。

宇宙は単純明快だ。

複雑にしてるのは、私たちの頭の中でだけさ。

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さて、これからどう生きる?

どんな風な世界に行きたい?

今までは、

想像のできる範囲でしか物事が起きない。

そう信じる世界だった。

でもこれからは、

想像を超えたとてつもなく面白くて、

毎日が弾け飛ぶような

キラキラと輝く世界になるよ。

そのためには、

自分の想像をはるかに超えることが起きると

世界を信頼すること。

自分でどうにかしようと躍起にならないこと。

根拠がない自信を信じていくこと。

直感に従うこと。

見えない世界との繋がりを日常的にすること。

態度で、行動で、示すことが大切になってくる。

見えない世界が”わたしたちの世界そのもの”だったことを、当然知っている世界線に戻ること。

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そのためには、

自分らしく生きること。

常に自分を信じていること。

私たちには翼がある。

力がある。

良心がある。

だから創造していける。

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この先はもっともっと

計り知れないほど素晴らしい日々だ。

あなたの世界も。きっと。

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