反転した世界に気付け
- 2025.07.26
- コラム

真言密教もチベット密教も
究極的には同じことを言っているように
私は感じる。
『真に我であれ』
私たちは
なんて自由のない世界に生まれているんだ!
って、そんな風に思っているかもしれない。
.
でも本当は
究極的に自由な世界に生きている。
自由の中で
不自由を感じるためにここにいる。
そして、
やりたい事を、
すべてやらせてもらえる世界に生きている。
私たちは本当は
最初から自由だった。
.
私たちが望む不自由とは
自我が感知し得ない希望の表れであり、
ドロドロの感情や愛憎の中で揉まれることである。
クソ喰らえな人生も
実はすべて
自分がやりたくてやっていることに気付けば、
全て終わる。
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なぜなら
冷静になってしまうからである。
自分の人生に対して
非常に客観的になってしまうからである。
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悩みたいから悩み、
苦しみたいから苦しんでいる。
そんなバカな。
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でも、今の私たちの時代では
そんな生々しい感情がなければ
『生』を感じられないからかもしれない。
逆に言えば
そんな現代社会でしか出会えない複雑な感情を
感じてみたいと、
心の底から望んだようにも思う。
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自分がやりたくて、
経験したくて、
そこから這い上がって何を学ぶか、
どんな風に成長するのか
乗り越えるのか知りたくて、やっている。
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自分劇場。
映画『自分』
ドラマ『私』
さぁ、配役はどうする?笑
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怒り、悲しみ、孤独。
自己犠牲、罪悪感。
嘆き、嫉妬、恐れ。無価値感。
全部知りたい。
全部を私の人生で味わえるようにすべからく配置しよう。
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全てが自分の希望に沿って、
全てが的確に
パーフェクトに
お膳立てされる。
宇宙はそれを全て許してくれる。
やりたいことを全てやらせてくれる。
良いか悪いかなど問わずに。
それが”無条件の愛”という意味。
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私たちが
自分を犠牲にしても人のためにやる、
というイメージの愛とは違う。
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どんな自由も尊重することが、宇宙の愛である。
たとえその人が傷ついて見えても、
苦しんで悩んでいても、
困っているように見えても、
その人はその人のやりたいようにやっていて
その人の劇場を展開している。
だから、
もしそんな人が近くにいたとしても、
それが家族であっても、
最後まで学びを見守ってあげること。
必要以上に手を貸さないこと。
それが宇宙の愛。
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でももしも
それでもやっぱりドラマに飛び込みたいなら
それもまた自由だ。
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でもあなたがもう
ドラマに疲れたなら、
新しい価値観の世界に進みたいなら、
私なりの宇宙的処世術を書いておく。
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私たちはもう
ケンカをする必要も仲裁する必要もない。
自ら悩むことも、人の悩みを解決する必要もない。
他人の選択は尊重してあげればよい。
ドラマを続けたい人は続けさせてあげてほしい。
そのために誰かと別れ別れになっても、
それはそれでいい。
時に冷たいと思われるかもしれないけど、
そうする方がいい。
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【自分】についての清算
・過去の人生において、
自分がやりたくて、経験したかったことは、
ちゃんとすべてやってこれていたと理解する。
・つまり、”辛い”と思える経験も
失敗した、挫折した、もっとこうしていればと後悔したことも、
本当は自分の望みであったこと。自分で決めてもたらした感情のドラマだったこと。
全部が大切な出来事だったこと。
だから誰のせいにしなくてもいいんだ。
と、本当の意味でわかること。
・そうすれば、
そっか、自分はこれまでもちゃんとやりたいことをやれていたんだ、と自分に自信が持てる。
人生を肯定できる。
こんな風に人生を振り返ることができれば、
もう過去を思い悩むことがなくなる。
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【他人】に対しての心構え
・他人に対しての見方を変えること。
家族であっても、親友であっても、人はやりたいことをやっている。
彼らにとっての学びを彼ら自身で設定してある。
だからその自由を尊重して、見守ってあげるよう。
あまり深刻にならずに。
・下手に手を貸して、自分を苦しめないようにしよう。(余裕があれば、できることだけしてあげたらいい。)
という意識がとても大事。
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そうすればもはや、悩むことはなくなる。
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嫌な人が現れて
嫌な感情になることも、
自分が経験したくてやってる。
それを、瞬時に思い出せるくらいに自分に言ってあげる。
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もし、毎回落ち込んだり、
自己嫌悪になったりの無限ループを終わりにしたいなら
『あ、私もうこの経験要りません!』と
態度で示すこと。
つまり、これまでと同じ反応をしないこと。
そうすれば宇宙は
もうしたくないのね!オッケー!
と理解する。
すると、もう起きなくなる。(まぁ波長が変わるまで、何度かは起きるかもしれないけど)
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うれしいことは喜び、楽しみ、笑い。
嫌なことはできるだけ平常心で。
そうすれば
反応の大きいポジティブなことが
日常的に起きるようになる。
宇宙は反応の大きさをみている。
与える影響の大きさをみている。
凹めば凹むほど、
それがこの子に必要なことだと思ってしまう。
ネガティブはもともと波が大きいから、心はその波に簡単に流される。
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ネガティブがあるから、ポジティブがある。
コインに裏と表があるように。
これは逆説的なんだけど
陰陽のバランスからして正しい。
だからネガティブにいちいち反応する必要はない。
次はポジティブが起きるぞと思えばいい。
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だけどこの先の世界線には
ネガティブもポジティブもない。
(判断する必要がない)
ただ出来事があり、
見る人によって見える場面(側面)が違う
という世界になるように思う。
つまり、同じ場所に居合わせたとしても
見えているものは全く違う。
そういう世界になってくる。
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もっと言えば
やがては
どんな出来事に出会っても
一定の心地よいリズムを刻む自分がいるに過ぎない。
そんな、世界になる。
体感するのは少し難しいかもしれないけれど。
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実は世界は反転している。
私たちは
どんなネガティブ(だと思ってしまうようなこと)も経験できる自由さの中にいる。
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『思い通りにならない』
という体験を思い通りにしている。
思い通りにしたいと思えば思うほど、そうならない。
思い通りじゃなくてもまぁいいかと思えば、意外と思った通りになる。
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見えない世界の大きな海の真ん中に、
目に見える小さな孤島がある。
孤島は見えない海に守られていることを知らない。
だから、目に見えるものだけで右往左往している。
見えない世界は見なくてもいいという
私たちの希望が実現している世界。
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でも私たちが今後、
見えない世界との融合を望むなら?
どうすべきだろうか。
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自分に起きている不都合が
どうして?なんでこんなことが?理由は?
と考えを巡らせるよりも、
『私が経験したくてやってるんだ』と
腑に落ちることができれば、
サーっと感情の波が引いていくのがわかる。
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目の前の事柄がなんだか急に滑稽に思える。
自分劇場。
逆にすごい。
.
これ、全部自分が用意した出来事なんだとしたら
逆にすごいやん。
夫婦の不仲も親子の不仲も家族の不仲も、全部。
こんな泥沼、
もうやりたくないなら、
やりたくないことを態度で示さないといけない。
ズルズルと同じ反応を続けているから
同じことが起きる。
必要だと思われるから。
ただそれだけ。
宇宙は毎回チャンスをくれる。
この学びはまだ必要かな?と出来事が起きる。
華麗にスルーできたらクリア。
複雑なことはない。
宇宙は単純明快だ。
複雑にしてるのは、私たちの頭の中でだけさ。
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さて、これからどう生きる?
どんな風な世界に行きたい?
今までは、
想像のできる範囲でしか物事が起きない。
そう信じる世界だった。
でもこれからは、
想像を超えたとてつもなく面白くて、
毎日が弾け飛ぶような
キラキラと輝く世界になるよ。
そのためには、
自分の想像をはるかに超えることが起きると
世界を信頼すること。
自分でどうにかしようと躍起にならないこと。
根拠がない自信を信じていくこと。
直感に従うこと。
見えない世界との繋がりを日常的にすること。
態度で、行動で、示すことが大切になってくる。
見えない世界が”わたしたちの世界そのもの”だったことを、当然知っている世界線に戻ること。
.
そのためには、
自分らしく生きること。
常に自分を信じていること。
私たちには翼がある。
力がある。
良心がある。
だから創造していける。
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計り知れないほど素晴らしい日々だ。
あなたの世界も。きっと。
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