新型コロちゃん騒動はなんだったのか?ここらで自分なりに総括してみたい。

新型コロちゃん騒動はなんだったのか?ここらで自分なりに総括してみたい。

こんにちは。さきちです。

 

本日は2023.5.8。

新型コロちゃんの感染症法上の位置づけが「2類相当」から「5類」へと移行した日です。

 

まぁでもみんな普通にマスクしてますねぇ…

感染症法上の位置づけが変わった

「5類」ということになると、季節性インフルエンザと同じ扱いになるため、

国は人々に対する入院勧告や就業制限等、行動制限はできなくなり、

感染対策は個人の判断にゆだねられることになりました。(つまりワクチンやコロちゃん関連の医療費は自己負担となります)

 

国内で初めての感染者が出てから3年4ヶ月。

(日本国内で検知された一例目は2020年1月15日)

 

その頃のことを覚えていますか?

私は妊婦でした。

 

あれから3年、、、ようやくコロナ禍から区切りがついたように思います。

 

そこで、この騒動って一体何だったのか?

みんなの生活と意識を変えた大きな転換期だったことは間違いない。

(振り返ってみたとき、世界と日本にとって良い転換期であったと自信をもって言いたいね…)

 

すでに自問自答を続けてきた日々でもありますが、改めて自分の中で総括をしてみたいと思いました。

 

お付き合いしていただける方がいればうれしいです(^v^)

 

自分で判断をするしかないという恐怖

「命が奪われるかもしれない肺炎を起こす謎のウイルス」

「感染しないための方法はあるのかないのか」

「安全が保証されていないけど打った方がいいと言われるワクさん」

 

2020年。

今まで見ていた景色とは違ったものが突然目の前に現れた。

それも、自分や大切な人が命を脅かされる危険があるという。

 

これまで持っていた安心・安全の意識をぶち壊されるような一報が飛び込んできた。

そんなとき自分がどんな反応するのか、このときよくわかった。

 

妊婦だったこともあり、とにかく赤ちゃんを無事に産まなければという一心だったが

「自分自身の中に答えはない(知識がないと答えが出せない)」と思い込み、

とにかく外の情報を頼った。

恐らく、多くの人がそうだったのではないだろうか。

 

連日メディアで報道されるコロちゃん関連の情報や、専門家と言われる人たちの発言を必死に拾った。

しかし、どんな情報も最終的にはあやふやな結論で

結局のところ人類は、このウイルスに対する有効な手立てを持ち合わせていないと感じさせるものばかりだった。

 

さらに日本国内で徐々に感染者が広がりだしたころ

不安で右往左往する人々に対し、

メディアは「安心のため」というよりは、「恐怖」をあおるように

連日感染者数を報道しコロちゃんの危険性を大いにうたい、

そして海外で登場したワクさんを救世主のように扱った。

 

ところがワクさんはこれまでとは違う”新しい仕組み”のもので、有効とされる一方リスクもある。なんにせよ治験の時間が短すぎる。

そんな状態で政府は、ワクさんの有効性と危険性を天秤にかけ、

「打つか打たないか決めよ!」という、一般の人々には酷な判断を強いました。

(コロナ禍で出産を控えた妊婦の友達がワクさんを打つか打たないか苦慮していたのは見てて辛かったなぁ)

 

やがては、ワクさんを打たない人の移動を制限するようにもなっていきました。

 

俯瞰した目で物事を見る

こういったすべてが謎だらけの状況に置かれたとき、命を守る判断を下すのは「自分自身であるべきだ」とようやく私は気が付きました。

外の世界には、いくら探しても明確な答えがみつからなかった。

 

ならば自分に聞くしかない。

 

だって、誰も責任は取ってくれないでしょう。

私は自分で判断し、その行動の責任は自分で取るという、ある意味当たり前の”大人の指針”をコロちゃんの騒動を経てようやく手に入れることができたのかもしれません。

 

でも、その自分の判断が、もし周囲の人それも大半の人と異なる判断だったら?

非常識だと思われるものだったら?

自分の判断を貫き通せるだろうか?

 

そういった「強さ」も試されたと思います。

 

未知なる恐怖への対処の仕方

どんな科学もどんな専門家も

どんなに正しいと多くの人が言ったとしても

その事柄を決して妄信してはいけないし、

 

自分の中の違和感を大切に

自分が下したその判断を信じる強さを持つこと。

 

そして恐怖によって視野を狭めないことがとても重要だと私は学びました。

 

同時に

日本という社会で生きている以上

「マスクをしてほしい」という場所へ行くならマスクはするし

マスクはしなくて良いだろうという屋外では外す。

 

そのバランス感覚というものもあっていいと思う。

 

自分の意見を人に強いるのもまた違うと思うから。

 

改めて考えると、

ウイルスが脅威といえるのは、感染力と毒性が高いとき(ある種、限定的)ですよね。

 

ウイルスというのはよくできたもので

一概には言えないものの、

致死率が非常に高いものは感染するのが難しいか、発症の際に隔離することにより感染の広がりを抑えることができます。

一方で感染力が高いウイルスは感染は広がるものの、変異しながら毒性は弱まり、人の命を奪うまでの危険は減っていく。

 

 

日ごろから自分自身に高い免疫力があれば、この世のほとんどのウイルス・細菌には対応できるようになっています。

ただ、このウイルスが人為的な手が加わっているとすると…状況は変わってくるのかもしれませんが。(これが一番怖い)

 

そんなわけで、今回の長期にわたるコロちゃん騒動で

情報への接し方を考えた人も多いと思います。

情報の取り方一つで、判断材料が変わる。そして最終的な自分の行動が変わってしまうこともあります。

 

権威ある科学雑誌でさえも、何かの思惑に左右されて人々を欺いている可能性もあるわけで。

(疑う目も大事)

 

私たちは何も考えずただ安直に情報を受信するだけでなく、必要ならば信頼できる筋に情報を取りに行く姿勢が必要です。

そのために、情報の発信者がどんな人物で、信頼に値するかを日ごろから精査する必要もあります。

 

とはいえ、常にそんなに気を張っている必要はないのですが。(笑)

ただ、自分を構成する大切な要素として、「情報はしっかり吟味する必要がある」という意識は持っていて損はない。

 

わたしの総括

こんな世の中ですから

この先もどんなことが起きるかわかりませんが

対応方法というのは基本的に変わりません。

 

✔どんなときもまずは落ち着いて、いったん恐怖から離れて状況を見極めること。

✔そして信頼できる筋からの情報を収集・精査し、判断→自分の行動を決めること。

(✔テレビはあまり見ないこと笑)

 

これに尽きます。

何があっても自分を見失わないで。

そうすれば、おのずと自分と周囲の大切な人を守ることができると思います。

 

そして、どんな良くないと思える状況があったとしても

必ず大きな流れではより良い方向に進んでいると信じよう!

 

きっと大丈夫!

 

ではまたね。

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