家族間での学びは人生の学び。魂の旅を終えて。

家族間での学びは人生の学び。魂の旅を終えて。

こんにちは。さきちです。

今回は【魂の旅】のお話。

 

かなりプライベートな話なので

ご興味のある方だけお付き合いいただければと思います。(笑)

 

ではいってみよう。

 

旅の始まり

思いがけなく(といっても計画したのは私だが)、海外旅行に行くことになった。

それも一人旅。

 

私には子どもが2人いる、夫もいる。

母であり妻である。

 

一般的に考えると、この状況で1週間家を空けるのは

もしかすると至難の業といえるのかもしれない。

 

しかし私は、

妻や母という仕事を日本に置いて、6日間家を不在にする決断をした。

 

これは私の魂の旅の物語。

 

私と父とそれから母

行き先は東南アジアのラオス。

 

タイやベトナムに比べると知名度は低く、

もしかしたらこの国を知らない人もいるかもしれない。

 

なぜラオスに行くかというと

父が住んでいるからだった。

 

父はそこで炭焼きの仕事をしていて、

現地で作った備長炭を日本に輸出するというビジネスを行っていた。

 

日本人が1人、異国の地で事業を起すことは

並々ならぬ努力があっただろうと思う。

しかも父は、炭焼きを日本でやっていたわけではない。

 

ゼロからのスタート。

薄氷を渡るような綱渡りを経て(本人談)、

一時はお金が尽きて、もう死んでしまおうかと思ったこともあったらしい…(やめてくれよ)

 

父が異国の地でそんな状態だったため、途中から母はほぼ1人で3人の子を育てることとなった。

母がお金の工面を相談しても、父は自分のことで精一杯。

当時、とてもうちにお金を送る余裕はなかったそうだ。

 

しかし母からしてみれば、そんな無責任な話はない訳で。(そりゃそうだ)

 

父が事業を始める際に持っていった大金はどこへ消えたのか、母は知るよしもなかった。

 

そうして10年が経ち、母は父を頼ることをやめた。(悲しい決断)

 

父はなぜそこまでしてラオスでのビジネスにこだわったのだろう?

一度は諦めて日本に戻ったものの、既に母からは三行半を突きつけられたも同然で、

帰るところを失った男は意地でラオスに戻ったのだろうと思う。

 

私は父と母、両方からそれぞれの立場で話を聞いた。

 

家庭のことを考えれば、そりゃあ母に味方したくなる。

でも…

最終的には「家族のために」と一人必死で働いていた父のことも

私は憎むことができない。

 

どこまでいっても

私は全てを理解できるわけもないし

実際に見たわけでもなく。

両親には両親にしかわからない関係や事柄もあるわけで。

 

2人のことに口出しをする権利はないな、と

今となってはそう思う。

(いろいろ言いたくなる気持ちはやまやまなんだけど)

 

それよりなにより

子どもだからと言って、

私は自分から2人の間を取り持とうとか関係を修復しようという気は毛頭ないのだ。

 

ただ、それぞれに対して

なるべく誠実に対応したいとそれだけを感じていた。

 

父の話

3年前、父は脳梗塞で倒れた。

 

ちょうど事業も安定し、生活するに十分な程度の収入が得られるようになって数年たった頃だと思う。

 

時を同じくしてコロナ禍が始まり、海外渡航はしにくくなった。

そして私は2人目の娘を出産したばかりだった。

 

父は意識を取り戻したものの、

今後どこまで回復するか先行き不明の中で、私は父の側にいてやりたい思いもあったが、

赤子を残して行くことはできない。

 

私は父が好きだったから

とてもとても苦しかった。

 

父がどんなに母に不義理だったしても

幼いころ溢れんばかりの愛情を注いでくれた父が好きだった。

 

でも

私はラオスに行かないという決断をした。

 

父は不安定ながらも徐々に1人で歩けるようになったが、

お風呂や階段など、時折介助が必要な身体になった。

 

私はこの出来事で父の死の可能性を突きつけられて動揺し、

肉親の死をどう受け止めればよいか、心の準備が必要だと悟った。

 

日々の子育てや家事に追われながら、ふと父のことを想う時間が過ぎた。

空を見上げては父の回復を願った。

 

しかし一方で

父の体調が悪いという報告や、弱音を聞きたくなく、あえて連絡を取らない自分にも気付いていた。

自分の心が揺さぶられるのが怖かった。

 

父とは節目の時期にメールを送りあっていたけれども、

父の文章は簡潔すぎて、いまいち背景にある感情が読めなかった。

 

ただなんとなく、気落ちしているような感じに見てとれた。

そして身辺整理を始めているような素振りも感じた。

父は死期を悟っているのかもしれない。と私はふと思った。

 

口に出すのは怖いが、

私は父がこの世からいなくなってしまう前にきちんと会っておきたかった。

正直言うと、父のためというより、自分のために。

どうして行ってあげなかったんだと後悔したくないと心底思っていたから。

 

 

これが、今回私がどうしても海外に行かなければいけない訳でした。

 

真夏のラオス

乗り継ぎ1回、地元の鳥取からラオスの首都ビエンチャンまで

約12時間かけて、私は父に会いに行った。

 

久しぶりの海外でたどたどしい英語を駆使しながら(笑)、

右往左往しながらもなんとか辿り着いた。

 

4月のラオスは乾季で真夏だった(39℃)

 

父はやはり以前より年老いていて、杖を付いていた。

倒れる以前と比べてしまうとやはり頼りなく感じるが、

それでもここまで回復できたことを私は天に感謝した。

 

4日間という短い期間だったが、私は父といろいろな話をした。

 

父は幼少期の頃から今に至るまで長い人生の話をした。

私はただ聞いていた。

父は寂しかったんだと思う。

 

父の母(祖母)は明治生まれの人で、とても厳しかった。

なんとなく母親の面影をずっと追い求めているような、母親に褒められたいと願う子どものような感じがした。

 

父は、「私に会えて生命力が湧いてきた」と話した。

歩くのが速くなり、生きる意欲が出てきたようで私も嬉しかった。

思い切って来た甲斐があった。

 

父はまた来てほしいと何度も言っていたけれど、

もちろん時間とお金と体力が許せばそうしたいけれど、

もしかしたらこれが最後になるかもしれないと私は覚悟して来ていたので、悔いが残らないようにしようと思っていた。

 

父の体をマッサージして、父の話をしっかり聞いて、私も多くを話した。

私は父と2人で写真を撮った。おそらく数十年ぶりだったろうと思う。

 

父は自分が使っていた時計を私にくれた。

たわいもない話で笑い、一緒に食事をした。

辛いとか甘いとか些細なことをいちいち話した。

メコン川を眺め、互いの幸せを祈った。

 

私たちは気づかないうちに、ずっと魂の交流をしていたのだと思う。

 

人生は家族から多くを学べる

今回の旅で、

人はそれぞれ生きる上で大事にしている”指針”が異なるんだと改めて気付かされた。

 

それは幼少期の頃感じたことや、

青春時代に培ったことや学校や社会で学んだ思想や価値観、

その他のいろいろなことが混ざり合って決まるのだけど、

 

「夫婦」という枠組みで共に歩むと決めたからには、

その指針を互いに突き合わせて、一つに和合していく必要がある。

 

そして和合させる唯一の方法が『会話(コミュニケーション)』なのだと思う。

自分の気持ちを十分に伝えること。

真摯に伝えることがどれほど大切か。

 

少しずつズレた方向性は、大きくなると修正が聞かなくなる。

互いに思いやっていたのは事実なのに、何故か父と母は気付けば別々の道を歩み始めてしまった。

 

そのことに対して子供として一抹の寂しさはあるけれど、

やっぱり私は、本人たちの意思を尊重したい。

矢印の向きがが双方向でなければ、夫婦としては意味をなさないのではないかと思うから。

 

でもね。

たとえ夫婦が別々の道を歩んだとしても、いつかは許し合える日が来る。

 

それが今回の人生で生きているうちに叶わないとしても、

死んでしまえば夫婦にしても親子にしても、いったん全部終わりだもの。笑

 

あの世で2人がまた出会ったとして

『わぁ、今回はここが反省材料だね!』

と、お互いに笑って話してほしい。

お互いを許して受け入れ、また愛を交換してほしい。

 

何にせよ、人をゆるすにはまず自分をゆるしてから。

父も母も、どこか自分を責めている気がするから。

そんな自分自身をもうゆるしてあげてほしい。十分頑張ったもの。

 

過去も未来もない。あるのは今だけ

私は今回、どうしてもラオスに行っておきたかった。

父に会っておきたかった。

衝動的に突き上げてきた思いに抗えず、思いを告げたときすぐにゆるしてくれた夫に感謝します。

 

この3次元では、テレパシーはまだ使えない。

 

だからお互いを理解するために「言葉」を使う。

でも身近な人ほどうまく言葉を使えない。そんなジレンマもある。

 

そこを乗り越えて、自分の気持ちを素直に相手に伝えられたらいいのにね。

大切に思う人には、思い立ったときに気持ちを伝えるべきだなぁとつくづく思う。

 

直接言えなくてもね。

長く一緒にいる人ほどね。

 

父に会えて、私の心は癒された。

父もきっと同じだと思う。

 

今回このタイミングで、父と魂の交流ができて私の人生は変わったように思う。

そしてこれからさらに大きく変わるんだと思う。そんな予感がする。

 

私は、この父とそしてこの母を選んで生まれて来て、本当に良かった。

家族を通して、たくさんの学びができたから。

 

 

そして

思い切って旅に出る決断をした私自身の勇気にも感謝。(笑)

素晴らしい経験させてくれてありがとう!

 

 

おしまい。

(ベトナム、ハノイ空港にて)

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