【母と娘】私は人生の大きなハードルを一つ越えた。

【母と娘】私は人生の大きなハードルを一つ越えた。

こんにちは。さきちです。

明けましておめでとうございます。

 

2022年が始まりましたね。

ゲッターズ飯田さんの占いによれば、私(銀の時計座)は今年最高に運勢が良いそうです。

よっしゃーーー!!!!(笑)

 

どんどん波に乗ってくぜ(/ω\)♡

 

さて、2021年の12月に、私の母が東京から鳥取にやってきました。

母と会うのは次女の出産前なので、2年以上ぶりです。




母と私の再会

母は、高校生以来ぶりに乗ったという寝台特急(サンライズ出雲)を使い、私のところまでやってきました。

 

2年ぶりに会う母を、

胸いっぱいの楽しみとほんの少しの緊張と一緒に迎えに行きました。

 

母は大きなリュックを背負い(趣味:登山)、以前と変わらない”はつらつ”とした姿でやってきました。

 

改札の向こう側に向かって

「おかあさーん!」と声をかけると、笑顔で手を振ってくれました。

近づいてくると母は手を顔の前に出し、私とハイタッチしました(笑)

 

母もきっと私に会えて、とてもうれしかったのだと思います。

 

母はとてもおしゃべりです。

私も母に話したいことがたくさんあって、1日目はテレビも付けずにおしゃべりして過ごしました。

 

●●●
さきち

修学旅行生の夜かよ

 

母は来るなり私にお小遣いをくれました。

「お兄ちゃんにあげなかったら、もっとたくさん渡せたんだけどね…」と言いながら。

 

母はとても愛情深い人ですが、なんでもすぐ思ったことを口に出すし、せっかちだし

デリカシーに欠ける部分があります(笑)

なんていうか「言い方をもっと考えてよ」という感じです。

 

親子だからなんでしょうが、良いことを良いと素直に言わず

「もっとこうすればいいのに」などと先に言ってしまいます。

 

なので、私もイラッとすることが多いです。

 

母と私のケンカ

次女と初めて会い、長女とも久しぶりにあったのでテンションが上がったばあば。

子どもたちを抱きしめ、とても楽しそうでした。

日中二人は保育園に行くため、母と私は周囲を観光したり家でくつろいだりしていました。

 

母は久しぶりに私に会ったからか、家を一生懸命掃除してくれました。

買い物に行ったり、料理を作ったり、私たちのために頑張っていました。

 

母がいることに慣れてくると、私もだらけはじめ、母への配慮も欠けてきます。

そんな中で些細なことからケンカになってしまいました。

母にとって言われたくないことに私が口を出したからだと思います。

 

母は「散歩に行ってくる」と家を出ていってしまいました。

よく知らない土地で…。

 

私は母が出ていってから、いろいろと後悔し反省しました。

窓の外を見ると、雨が強くなっていました。

 

1時間、2時間、3時間経っても母は帰ってきません。

次第に外は雪交じりの雨になり、風もビュービュー吹いています。

LINEも返ってきません。

 

心配になり、付近を探しに行きましたが、見当たりません。

夫に連絡を取り、母にLINEを送ってもらうとすぐに返ってきました。(おい笑)

「電車で隣町まで出かけるので、夕方に帰ります」

とのことでした。

 

私に起きた変化

これまでであれば、私は自分のことしか考えられず

ここで母への怒りに我を忘れていたかもしれません。

 

「一言連絡くれれば寒い中探しにいかなくてもよかったのに」

「自分勝手なことして」

「心配させないでよ」

とかね。

 

もちろんそんな感情もあるにはあったけれど

それよりも

「無事でよかった」

「お母さん、私のせいでごめんね」

母がどんな気持ちで鳥取まで来てくれたかに目を向けることができたんです。

 

頭の中で「寄り添うこと」「自分は母に対して背を向けない」と決めました。

 

人にはそれぞれの想いがある

いつも自分が正しいと思い、自分の正義を振りかざして母にぶつけてきた私。

 

母はどんなにか我慢してきただろう。

 

明るくどんなときも元気で、私たちに心配を掛けないようにと人生を歩いてきた母。

これからは私が支える番。

 

「子どもたち帰ってきたよ」

「傘ある?迎えにいこうか?」

とLINEを送りました。

 

夕方帰ってきた母は「いつも通り」。

子どもたちと夫もいてくれたおかげで、また普通に会話して楽しく過ごすことができました。

 

母は散歩に出ていた間に私の好きな甘酒を買って帰ってきてくれていました。

ケンカしてもやっぱり私のことを考えていてくれたんだと

涙が出そうでした。

 

そして、夜は私の足をマッサージしてくれました。




母の気持ちと旅立ち

翌日は母が帰る日。

午前中、一緒に料理を作り置きして、私が晩御飯を楽にできるようにしてくれました。

 

母はおもむろに私の横に座ると

自分がどんな風に思って子育てをしてきたか、

今は疎遠になった父とどんな関係だったかについて話してくれました。

 

私は母からあまり愛されていないと勝手に思い込んでいましたが

それは違いました。

私は母のことが大好きだったけれど、愛情を表現する方法を知らず

これまで二人で話す機会というのはほとんどありませんでした。

 

母はずっと私たちを守るために必死で働いてきました。

時間がなくて「3人の子に(それぞれの面で)十分にしてあげられない」と自分を責めたりすらしていたのです。

でも、そのことを口に出すことはありませんでした。

 

私は母から十二分に愛されていたし

父とも良い関係を築こうと努力していたのです。

 

父は私にとっては優しく厳しく愛のある人でしたが

母にとっては、ある意味身勝手とも思える行動をとっていました。

 

子どもから見る父と

母から見る夫は、だいぶ違っていたのかもしてません。

 

どこかで何かが掛け違って、そして戻らなくなってしまいました。

 

私はそれをずっと「修復してほしい」だとか「悲しい」だとか思っていたけれど

父にとっても母にとっても、今の道が「選んだ道」であって

子どもだからって(もう子どもじゃないしね)、もう、とやかくいう筋合いではないと思えたのです。

 

母の幸せすら、私は自分の尺度で測ろうとしていました。

母には母の幸せがある。

これまでものすごく頑張ってきた母だから、これからは優雅にのんびり暮らしてほしい。

 

それが今の私の願いです。

 

こうして私は優しい気持ちで母を送りだすことができました。

母は「ありがとね」と言って私の手を握りました。

 

電車に乗り込むとき、私は思わず「おかあさん!」と呼びました。

母は笑顔で手を振りました。

そして「寒いから行きなさい!」と言いました。

 

少し歩いて振り返ると、母はまだ手を振っていました。

 

ありがとうお母さん。

大好きだよ。

 

(おしまい)

 

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