海外で突然父が倒れた!そのとき家族は…心構えはやはり大事だと痛感した出来事。
- 2020.11.04
- コラム
こんにちは。さきちです。
しばらくブログが書けずにいました。
実は…タイトルにもあるように、海外に一人で住む父が突然倒れました。
気持ちの収拾がつかず、なかなかPCに向かうことが出来なかったのですが
ようやく少し落ち着いてきたのでそのときのことを書き留めておきたいと思います。
取り急ぎ、父は無事です。
弟から急な連絡
10月の半ば。
弟からLINEが入りました。
普段から連絡を取り合う仲ではありますが、平日の日中に連絡があるのはまれなこと。
なんだか胸騒ぎがしてスマホを見ると…
「父ちゃんが倒れたらしい」
急に目の前がチカチカして
心臓がバクバクし始めました。
「え」
これしか返せませんでした。
どうゆうこと
なんで
大丈夫なの
生きてるの?
お父さん、死んじゃうの?
待って、私何もお別れ言ってない…
質問が矢継ぎ早に浮かんでは消え、浮かんでは消え
最悪の事態が頭を駆け巡っていました。
ふとスマホをチェックすると、海外の番号からフェイスタイムの着信が残っていました。
ピンと来てすぐに折り返しの電話を掛けました。
すると現地の女性の方が電話に出ました。
「Hello」
ここからはたどたどしいですが英語で会話をしました。
日本語が通じないのがこんなにもどかしく思ったことはありませんでした。
ちょうど別室で寝ていた次女も泣きだし、気持ちも焦りました。
10分程度会話をして分かったことは
・父は頭の病気であること
・今は眠っていること
・今は話せない
・女性はジャイカのスタッフであること
などでした。
東南アジアに在住の父。
医療も先進国に比べると水準は低く、命の保証はありませんでした。
「父は大丈夫か」
その一言を絞り出して聞くと
「not so OK」と答えがありました。
「大丈夫じゃない」
「重篤なんだろうか」
そのことすらうまく聞き出せませんでした。
とにかく今は「良くない状態」だということを理解し電話を切りました。
父の状況を知るために
その後は家族と連絡を取り、父の状態を知ることに全力を注ぎました。
英語がネイティブレベルの従姉に連絡を取って、先ほどの番号にかけてもらい聞き取りをしてもらいました。
弟は日本語ができる現地の日本大使館のスタッフからメールを受け、共有してくれました。
兄も外務省や大使館に連絡を取り、渡航の段取りなどを聞いてくれました。
今はコロナのこともあり、簡単に海外に渡航できる状況ではありません。
父に会うのは無理なのだろうか。
でも一刻も早く行ってあげたい。
不安と期待と…
あきらめにも似たような気持ちで胸が押しつぶされそうな毎日でした。本当に。
授乳で眠れないのに、
心配でさらに眠れなくなりました。
食事がのどを通らなくなり、痩せました。(今は戻りました笑)
でも。
冷静に考えると私が落ち込んでいても
父の病状が変わるわけではない。
すぐに飛んで行けないし、手を握ってあげることもできない。
「私にできることは、ほとんど何もないんだ」
辛いけどこれが事実。
この現実に目が覚めたような気持ちでした。
子どもの前で泣いてしまい、取り乱してしまったことを反省して
「もっと強くならなくては」と思いました。
私にできるのは、自分の生活をきちんとすること。
子どもを守ること。
これだけだと思いました。
昼は子育てをしながら。空を見上げては父の回復を祈りました。
夜になれば、不安と戦ってなるべく悪いように考えないようにしました。
父の状況が詳しくわかるまでの数日…本当につらかった。
もう父と会えないことを覚悟しよう。とすら思いました。
父の状況
一報では父は「脳卒中」だということでした。
詳しい情報によると、父は「高血圧による脳出血」が原因で意識を失ったということでした。
不幸中の幸いで、外出時に倒れたためすぐに救急車で運んでもらい治療を受けることができました。
処置は終わり、出血は止まっているとのことで心底ホッとしました。
ただ、身体の片側が動かせずしばらくはリハビリ等が必要だということもわかりました。
薬で眠っている時間も多くて、父と話せたのはそれからまた2~3日してからでした。
倒れてから1週間程経ち、ようやく父とTV電話をすることができました。
父は「私」を認識してくれているようで、少し微笑んだように見えました。
「お父さん!おとうさーん!」
大きな声で呼びかけました。
でも表情の筋肉がまだ動かしづらいようで、父はモゴモゴと何かを言おうとしましたがわかりませんでした。
こんなとき、元気だった父が変わってしまったとショックだと思いますよね。
確かにショックなんですが、私としては
「また父の顔が見れた!話せた(一方的だけど)!次女の顔を見せることができた!」
と嬉しい気持ちでいっぱいでした。
私も泣いてしまって、何を言ったか思い出せないのですが
「お父さんだいじょうぶ?絶対元気になるからね。ほら、次女だよ!おとうさーん」と
なんだか支離滅裂だったと思います。
お父さんは小さなこえで「だいじょうぶだよ…」と言ってくれたと思います。
それからまた一週間経つと、父は徐々に回復してきました。
口から飲食できるようになって会話もゆっくりですができるようになりました。
父の麻痺は左側だったため、右脳に損傷があったと考えられますが、言語機能には支障がないようでした。
記憶もきちんとあるようで、病院のスタッフとも英語で会話していました。
本当に良かった…
その後もTV電話を通じて何度か話すこともできました。
「お父さんタフだから大丈夫だよ。そんなに心配しないで」
という言葉も聞けました。
そんな状態で大丈夫って言われても…(苦笑)
という感じでしたが、何より心が元気になったようで安心しました。
メンタルが弱るとやっぱり何事もうまくいきませんからね。
リハビリもやる気でした。
血圧も安定しているのでもうすぐ「退院」もできるとのこと。
あとは自宅でトレーナーと共にリハビリをしていくことになるそうです。
父が倒れた まとめ
父も70代ということで、健康を害しても決しておかしくない年齢です。
でも、
「自分の親は大丈夫」
そんな気持ちが心のどこかでありました。
今回、父が前触れもなく突然倒れたことでいろいろなことを想像しました。
例えば
・父がこのまま介護が必要な状況になった場合
・一人暮らしができないとなった場合
・日本に戻ってきた場合
・どんな風に父の生活を支えてあげられるのか
・父の想いは?
家族といえども結婚して家を出た身として
父に何をしてあげられるのか
こんな状況になってからですが、想像以上にしてあげられることがなかったです。
考えるのも嫌なことですが
両親がいつまでもそばにいてくれるわけではないということを
自分の中で、気持ちの整理をつけておくことの必要性を感じました。
「気持ちの整理」
これがめちゃくちゃ重要だと思いました。
「別れが言えないこと」
これがどれほど辛いことか。
気持ちを伝えられるって、本当に幸せなことです。
両親が元気なうちに
これでもかってくらい感謝や愛情を伝えておこう。
そんな風に思った出来事でした。
(乱文失礼しました)
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