【思考を停止せよ】”いまここ”への最善を尽くすことで起きること

【思考を停止せよ】”いまここ”への最善を尽くすことで起きること

こんにちは。さきちです。

前回の記事とセットで読んでほしいのですが、⇒【究極】覚醒しなくていいし、目覚めなくてもいい。

今回は「いまここ」にとどまり続けよう。というお話。

 

世の中にはさまざまなスピリチュアルなお話があるけれど、

今すぐにできて、一番変化を感じられ、なおかつ幸せな気分でいられる方法がコレ⇒「いまここ」にとどまり続けることだと思います。

 

”いまここ”とは?

”いまここ”と言っても、初めて聞く人にとってはいまここってどこ?って感じですよね。

私なりに咀嚼して答えを出してみると「いまここ」=「いまこの瞬間(秒)」だと思っています。

 

たとえば、一番簡単ないまここに戻る手段は、自分の指先の指紋を凝視すること。

その瞬間、他のことは考えられないはずです。

 

しかしこの方法だと、すぐにまたいつもの思考(頭でごちゃごちゃしゃべってる感じ)に戻ると思います。

でもいったんうるさい思考からいまここに戻るには有用な方法です。

 

いまここにいる必要性

なぜ”いまここ”にいないといけないかというと、いまここにいない場合というのは過去や未来に意識が飛んでいて、意識のエネルギーが分散してしまい、それが弱まっているからだと感じます。(それこそ、”いまの積み重ねで素晴らしい未来を作り出す力が弱まる

 

そして過去や未来に飛ぶときというのは、何らかの心配事や不安、悩みについて思考しだすきっかけになっていると思います。

そしてそのきっかけを踏むと、延々と思考のループに陥っていくはずです。

そういえばあのとき、○○さんこう言ってたよな。なんであんなこと言うんやろ。それを聞いてた××さんも助け船くらいだしてくれても良かったのにさ。黙ってるなんでひどい…(あれやこれや)

と、芋づる式にネガティブがあふれ出します。

 

これって、実際には運動したわけでもない、頭で思考しているだけなのに、なぜかどっと疲れますよね。

私も会社勤めしているとき、家に帰ってからも上司に言われた一言を頭の中で繰り返し繰り返しリピートしては落ち込み

「なんで…」とか「くっそー」とか口惜しさと怒りの感情にその日寝るまで支配されていました。

相手が目の前にいないのにも関わらず、自分の頭の中だけで同じ場面を再現し、同じ感情を何度も味わう。夕飯の美味しさやお風呂の温かさという”いまここ”に一向に戻ってこれませんでした。

これって、一人で脳内ネガティブ再生劇場をやっていて、ある意味ものすごい能力だと感心します。そしてそれが当時は大の得意でした。ネガティブな思考ってそれほど強く人を引きつけておくパワーがあるんです。それも簡単に。

 

つまり、”いまここ”にいないと、意識は常にあちこち飛び回っていて、いまここでやるべき行動のエネルギーや感じるべき幸せや喜びをシャットアウトしてしまうんです。

そうなればネガティブの沼に落ちていくことは容易に想像がつきますよね。(こっわ)

 

思考大好き人間からの脱却

上記で述べたように、私も以前は思考大好き人間でした。思考していないと逆に手持ち無沙汰というか。ダメな人間みたいな感じにすら感じていました。

「ぼーっとすんな!」とか「思考停止してんな!」とか学生時代誰かから言われたような気もしますが、今なら「絶対ぼーっとした方がいい!」「思考は停止させて!」と声を大にして言いたいですね。

 

思考というのは、主に左脳優位の働きです。

あれやこれやと物事の段取りを考えたり、計画を立てたりということは左脳がなければできないことでもあります。

だから決して何も考えるな、というわけではないのです。

過剰に働かせすぎないで、という感じでしょうか。

 

不安や心配の要因を探しているくらいなら思考を止めて行動しちゃった方が早い。

そしてその方がうまくいくし、ストレスもない。

ぼーっとしているのが苦手な人はその方がストレスだというかもしれませんが(笑)

 

1日終わるとどっと疲れるという場合は、思考をなるべくやめて少し左脳をおやすみさせてあげることをおすすめします。

 

手の届く範囲があなたの世界

これはある意味、諦めにも似た境地なのですが、人間の意識の力って無限大である一方、その力を最大限に発揮させるためには思考を手放す(ぼーっとして今を生きる)という相矛盾した状況に行きつきます。

 

考えてみれば、風邪を引いたとき、咳を出したり鼻水を出したり、熱を出したりして体を元に戻しているのはいったい誰でしょうか。

自らが細胞の一つ一つに指示しているわけではありませんよね。私たちが「自分」だと意識しているものは、実はごくわずかな小さなものだということに気づけばしめたものです。

 

私たちの意識とは、そのほとんどが「自分だと認識しているもの以外のもの」だということです。ネガティブな思考も自分で作り出したものではなく、反射的に出る物質にすぎない。だから華麗にスルー出来るはずなんです。

自分でコントロールできる意識など、体で言ったら爪の先くらいのもんだと思います。(自分でコントロールしているなどと思うことすらおこがましいのかも)

 

だから、むしろ、その自分の背後にある大きな意識にお任せしておいた方が、人生はうまいこと回っていくんだと思います。

私たちがするべきはその舵取りだけ。方向を指し示し、願いを伝えるだけ。

 

あとは

大きな意識ヨ、頼む。良きように取り計らってくれ。

 

てな感じ。

 

悩みがなくなり、人間関係が整理される

いまここにいると、悩みがなくなります。

目の前に現れたことだけに対処していればいいからです。

対処が終わればあとは考えません。

 

もちろん子育てをしていればイライラも出ます。

でもイライラは自分のものではない(反射的に出ているだけ)ので、華麗にスルーしていったんコーヒーを飲みます。

子どもが泣いていてもいったんおいておきます。

 

そして再度目の前の子どもに集中します。

泣いていたら涙を拭いてやり、抱きしめ、訳を聞きます。子どもは次第に落ち着きます。

 

たとえばこのとき、自分にやりたいことがあったり、やっていたことが中途半端になっている場合、意識がそちらに飛びますので対処のエネルギーが半減してしまいます。

だから、このときは全力で取り組みます。子どものエネルギーに相対するためには、自分もそこにエネルギーを注ぎ込む必要があるのです。

 

子どもが落ち着けばまた、いまここの別のことに集中できます。

 

やりたくないことはやらない

人の悩みの大きな要因の一つは人間関係といえると思います。

私はたとえそれが、一般的には非常識でもやりたくないことはやりません。

 

実の家族、義理の家族、子どもの関係、友達、近所づきあいすべてにおいてです。

違和感を感じることはしません。

そうしないと延々にやりたくないことに時間と労力を割くことになるし、その状況を受け入れているといういまここの事実が未来に反映しちゃいます。

 

そこはある種、社会とのバランスが大事になってきますが、自分の中で自己犠牲になりそうなものは避けます。勇気を出して断ります。

どうしてもやってあげたい、とか、逆に自分がやってみたいと感じることはもちろんやります。

 

そして、目の前にいない人のことは考えないし、発生していないトラブルについても考えません。

私もこれまで人間関係はいろいろあがいてきましたが、あがいても解決しなかったこともありますし、解決したとてもなんか気持ち悪さが残ったり異様に疲れたり、自分への負担が大きすぎるのでやめました。

なので、今は付き合う友達も両手で数えられるくらいで、あとは家族のみ。

人間関係は、それで十分です。

 

小さなことで喜べるこころ

”いまここにいること”の恩恵は、いろいろな部分で感じます。

人に言ったら笑われちゃうくらいの小さなことかもしれません。

 

例えば、花に水をやれば、葉っぱの形の美しさや小さな芽の成長に気づき、料理をすれば野菜の色の鮮やかさや炒める音の心地よさに気づき、食事をすれば食べられる幸せと美味しさで胸がいっぱいになります。

楽器を弾いて歌い、ヨガをして体の声を聞き、空を眺めて太陽を浴びると、なんだかわからないけど「生きてるのもまぁ悪くないか」と思えます。

一時は消えてしまいたいとすら思っていたのに、すごい変化です。

 

もしもあのまま元の思考モードに戻っていたら、、、どこか遠いお空に飛んでって、、、きっと今の私はないと思います。

あれは結構辛かった。思考していると気づきながらも、その強さに自分でも逆らえないほどでした。

 

でもこの記事で書いたように⇒【内観の極意】自分をゆるすことと自分を認めることはそもそも違う

自分を「ゆるそう」って思えたら、また自然と思考を止められるようになりました。

 

おそらくこのステップは人それぞれで、起きること・経験することも人それぞれ。かかる時間もそれぞれなんだと思います。

この経過が、その人にとって非常に大事な人生の思い出であり青春となるのは間違いありません。

むっちゃ大変でむっちゃ快感。そんな感じです。

 

ぜひ思考を止める実験やってみてください。自己責任ですけど(笑)

では、またね。

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