【怒りとの関係】インナーチャイルドと古い心傷の癒しについて

【怒りとの関係】インナーチャイルドと古い心傷の癒しについて

こんにちは。さきちです。

 

みなさんは、「子どもの頃に傷ついた記憶」ってありますか?

私はあります。

 

だいぶもう過去のことなので

確かに詳細なことは思い出せずにいるのですが

ショックだった出来事は、

割と覚えているかもしれません。

 

主には、親との関係においてです。

(多くの人はそうかも)

 

古傷が生傷のまま残っちゃってる

生活をしていく中で

家族からネガティブな感情を感じることって

よくあるとは思いますが

 

そのあとのフォローがなかったり、

不快な感情指数が大きすぎて

自分の中で処理しきれなかったりした場合…

 

モヤ~ドロ~っとしたもの

心に溜まり続けていくことになります。

 

 

こういったことの積み重ねで

人間の心は無意識のうちにダメージを負っているものの、

 

よく観察していなければ

「傷」だと認識することすらできず、

 

たとえダメージを負ったとしても

表面上は元気に振舞わなければならないので

 

その”モヤドロ”=”心の傷”に、

形式上の蓋をする形で日々を生きてきたのだろうなぁ

と思います。

 

私の傷と”怒り”の関係

私がゆるスピリチュアルな意識に目覚め始めてから

時折「怒り」の感情

どうしても抑えられないことがありました。

 

怒りの感情は主に子どもに対して

「言うことを聞いてくれない子ども」に対して

あふれ出して止まらなくなることがありました。

 

特に自分勝手に行動する長女(5)に対して

怒ってしまうことがよくあります。

 

怒っているときに

「また怒っている」と自分でも気づいています。

怒りに任せてブチ切れている、

というわけでもないのです。

 

にも関わらず、この感情は激しい波を持って

私から噴出します。

 

子どもなんて自分勝手な行動をするもので

むしろ5歳で分別がついていたら怖いくらいです。

 

「伸び伸びやってほしい」と口では言ってるのに

実際に手に負えない行動、

こちらの話を聞かず自分のやりたいことをする

といった行動をされると、どうしても怒ってしまいます。

 

次女も巻き込んで危ないことをした場合には

手をあげることもあります。

 

母親に言われていたこと

「すぐ怒ってしまうのはどうしてなんだろう?」

と。改めて振り返ったときに出てきた答えは

 

「子供の頃に母親に言われてきた言葉が、

実は想像以上に自分を抑制し続けていた」

ということでした。

 

私は母親から

「早くやりなさい」

「怠けるな」

「がんばれ」

などという趣旨のことをよく言われていました。

 

割と大きくなってからもそれはそうで、

限界ギリギリになって弱音を吐いても

「頑張りが足りない」

「諦めたらこれまでが無駄になる」

と言われました。

(これは結構ショックが大きかった)

 

確かに母の意見はごもっとも。

ではあるんです。

 

でも欲しかったのは…

そんな言葉じゃなかったんですよね。

 

3~6歳頃は

政治家や芸能人、また大企業の社長の子どもなど

都内のボンボンが通う幼稚園で過ごし、

 

周りはみな小学校のお受験に備え

「比較」と「競争」の世界でした。

 

そんな中でも楽しくやっていた方だとは思いますが

周囲の状況や親たちの感情を敏感に察知する子どもだったので

 

「なんとなくの息苦しさ」を常に持っていたんだと

(今は)思います。

 

でも持ち前の根性的なもので

これまでなんとか頑張ってきました。

 

ただ、このときに感じていたプレッシャーは

顕在意識で感じる以上に

自分を抑えて生きていたんだということに

 

自分の子どもに対する「怒り」によって

ようやく気づきました。

 

だから子供が自由奔放・自分勝手な行動をしていると

「子供の頃、私はできなかったのに…」と、

無意識からムクムクと怒りが湧いてくるのだと、

そう気づきました。

私がしたかったこと・してほしかったこと

では、翻って

「子供の頃したかったことや

親にしてほしかったことは、なに?」と

 

子どもの頃の私に(胸に手を当てて)聞いてみると

 

「話を聞いてほしかった」

「もっと母とゆっくり過ごしたかった」

「条件なしに受け入れてほしかった」

「抱きしめてほしかった」

 

ということなんです。

 

書いていても涙がちょちょぎれちゃうのですが(笑)、

 

親とコミュニケーションにおいて

もっと愛と優しさを五感で感じたかったんでしょうね~。

 

昭和の真っただ中に生きてきた私の両親。

 

両親は両親で、一生懸命に大変な時代を生きてきたと思います。

子どもにしっかりとした教育を受けさせなければ、と

それこそ周りや見えない圧力と戦ってきたのだと思います。

 

その中で、親としてではなく

一人の人間としてやりたい夢もあったでしょう。

 

だから当時の両親のベストを

私たち兄弟に尽くしてくれたと思っています。

 

しかし子どもの私には正直そんなこと関係ありません(笑)

子どもってそういうもんですよね。

 

親にはただ感情を受け止めて

話を聞いてほしいんです。

 

幼稚園や保育園であったこと。

お友達と上手くいかなかった日もあるでしょうし

転んで泣いた日もあるでしょう。

素敵な絵が描けた日も、跳び箱を飛べた日も、

先生にいっぱい褒められた日もある。

 

なんでもないようなことをもっと聞いてほしかった。

褒めて、抱きしめてほしかった。

優しい言葉をかけてほしかった。

 

そっかぁ。

ちっちゃかった私は私なりに

いろいろ考えていたんだよね。

 

頑張ってきたよ本当に。

教えてくれてありがとう。

 

いつでもまた出て来て教えてね。

大人の私が受け止めてあげるからね。

 

傷を癒す方法

こういった小さい頃の自分が抱えていた

重たい思いを癒すためにできることは

 

苦しい感情がでてくるたび、

その原因となる出来事や

当時の自分の気持ちに気づき、

寄り添ってあげることだと思います。

 

そして気が済むまで

「よーしよーし」

と、その子に優しくしてあげてください。

 

そして

そのあとは忘れてください。

(これ大事。いつまでもその感情を引きずらない。)

 

もしまた同じような感情がでてきたら

その度に

 

「大丈夫だよ。いつ出てきても私が癒してあげる」

 

とそんな風に

小さなころの自分と信頼関係を築いてみてください。

 

そのうちに

気付いたら「あまり出てこなくなる」と思います。

私が自分の子供たちにできること

私は「自分が怒っていること」に気づいてはいますが

その怒りをどうして止められなかったとき、

 

あとで子どもに謝るようにしています。

 

「ママさ、まだまだ未熟者だからさ(←たぶん意味わかんない笑)

すぐに怒りんぼになっちゃってごめんね。許してくれる?」

と聞くと

 

子どもたちは必ず

「ゆるすよ!」と言ってくれます。

 

怒ってしまった自分が

ときどき許せなくなったりもして

責める気持ちも芽生えます。

 

でも子どもたちは

ママがいつでも

ゲラゲラ笑っているのが好きなことも知っているので

 

なるべくすぐ笑えるように

意識を切り替えるようにしています。

 

「今」に集中するってやつです。

 

そしてできるだけ何度も

子どもたちを抱きしめるようにしています。

 

【私が子供たちにできること】

・受け止める

・寄り添う

・抱きしめる

・信頼する(本人に選択を任せる)

かな、と今は思っています。

 

 

まとめ

子育ては、これまでの自分をぶち壊す作業でもあるなと痛感します。

頭でっかちの自分では、全然太刀打ちできません(笑)

 

ぶち壊した結果、

まっさらでつるんつるんの”真の自分”に出会えます。

 

それが大変でもあり、ありがたくもあります。

とにかくめっちゃくちゃ素晴らしい経験をさせてもらっていて

 

私に子どもたちを授けてくれたこと(お預かりしてる感じだけど)、

 

宇宙に、神に、地球にそして自分にもありがとう!

という気持ちでいっぱいです。

 

この宝物たちを

なんとか大切に、

無事に大きくするまで頑張ろうと思っています。

 

では、またね。

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