【確信】私にとって文字を綴ることとは。自分との通信手段である。

【確信】私にとって文字を綴ることとは。自分との通信手段である。

こんにちは。さきちです。

 

私は、書くことが好きです。

 

小学2年生の夏休みに学習ノートに日記を書き始めたことで

私の”書く”という物語はスタートしました。

断続的にではありますが、それからずっと手で書くことをしていました。

 

そして、2008年からインターネット上(Web)にlogする=

いわゆる「blog」というものを始めました。

 

当時は「mixi」というSNSが若者の間でめちゃくちゃ流行っていて

そこに日記を残す形というのが世間的にも一般的になりつつありました。

 

ただ、招待制のmixiは友達とのつながりが色濃く、

日記は必ず友人たちに見られることを前提に書いていたので

本当の気持ちなどはなかなか綴れない(シャイな)自分がいました。

 

そこで、私は別のサイト上に自分の胸の内や

単なるメモのようなだけど忘れたくないことなどを書き始めました。

 

日記を書くことということを覚えて30年。

blogを始めてから14年。

 

年齢を重ねても、私はずっと文章を綴ることが好きなようです。




なぜ書きたいのか

「書くこと」は私にとって大切な自己表現の一つです。

そしてそれは、自分にとって大きな部分を占めることでもあります。

 

どんな方法であれ、人は自分を表現しなくてはいられない生き物だと思います。

 

例えば洋服で、例えばメイクで。例えばアートで。

例えばおしゃべりで。例えばダンスで。

ゲームで、勉強で。

表現方法は人それぞれ。千差万別であり、十人十色です。

 

人はいつでも

表現し、それを誰かと共有したり認めてもらいたいと本能的に思っているのではないでしょうか。

 

私は小さなころから、絵本が、そして小説が大好きでした。

(「ジェーン・エア」や「ああ無情」など不遇な人生の主人公が強く生きていくお話が大好きでした)

 

算数は0点でも国語のテストはいつも100点。

極端すぎるけど、マジでそんな子どもでした(笑)

 

だから、きっと

幼いころから私にとって「文章」はとても身近な存在であり

文章から発せられる言葉のエネルギーしかり

書いた人の想いしかり、

その一つのセンテンスの裏側に広がる膨大な情報と世界観を

自然と受け取って楽しんでいたんじゃないかと思うのです。

 

そして、本を読む流れから次第に書く方へと興味が移っていきました。

 

書くことへの渇望

小説家になろうだとか一瞬足りたりとも考えなかったといえば嘘になりますが、

 

ストーリーを考えることに関するポテンシャルのなさには

早々に気づき

私は自分のことについてだけしか書けない

ということを学生の頃にはすでに理解していました。

 

日々に起こったことを面白おかしく友達に話すことが大好きだったように

基本的に自分の周囲にしか興味のない人間でした。

 

だからこそ

自分に起こったことに関しては最大限の関心と

感情を伴って記憶し、人に話すことを楽しみに日々を過ごしていました。

(お笑い芸人にとってのネタ探しみたいな感じかもしれません)

 

しかし、大学卒業後に

生まれ育った東京を出てから

おしゃべりを聞いてくれる友達が周りにいなくなってしまいました。

 

ここから自己表現できない時期が数カ月続きます。

そして

「しゃべれないなら書いてやろう」と

思いつきます。

 

これが誰にも見られることもないであろうblogのスタートです。

blogを書き始めたときの気持ちを

私は今でも覚えています。

 

大学院で威張り散らす教授のことだとか

一人暮らしを始めて好きなものが食べられるうれしさだとか

一方で、自分で買わなければすぐに空っぽになる冷蔵庫のことだとか。

 

分岐点を迎えた自分の人生について

当時の何とも言えない孤独と希望がシーソーゲームする気持ちについて

書いておきたくて仕方がなかったように思います。

 

書くことで整理される気持ちと本音

結局のところ、私が文章を書く理由はこの2点に尽きるかと思います。

・書くと、自分の気持ちが整理されスッキリする

・意外な本音(もしくは、やっぱりなという本音)に気づく

 

今も昔も

自分を見つめる(内観する)という方法として私には1番合っていると感じています。

 

自分を見つめるために書くのだから

ハッキリ言うと私は

「人のためには書けない」ということになります(え)

 

これまでライターとして何度かお仕事をさせていただきましたが

書くことが”義務”になってしまうと、苦しくて仕方なかったんです。

 

好きなことを仕事にするのはとても良いことだけれど

好きの中にも、

むしろ好きだからこそ譲れない部分があることに気づいてしまいました。

 

●●●
さきち

難しいヤツだなぁ

 

でもこれが本音ですね。

誰になんと言われても

自分の人生の主人公は自分です。

 

自分の人生の脇役になっちゃダメなんです。

 

書くことが内観に繋がるとすれば

それはすなわち

自分自身と会話していることにほかなりません。

 

書いて文字にして残す以上、

私は私にウソはつけないと思っています。

 

だから書いてから

「なんか違うな」と思えば当然消して書き直すし

「言いたいことがうまく伝わる表現」を探します。

 

少ないかもしれないけれど

これを読んでくれる誰かの心に

ひらめきや安心や笑いをちょっとでも届けられるようにと

微力ながら書いていて思うのです。

 

きっと誰か必要な人の元に届く。

 

手書きじゃなくていい。思いを綴ろう。

この方法が誰にでも合っているかといえば

そうではないかもしれないけれど

それでも私は、書くこととその言葉たちにはものすごい力があると思っています。

 

言霊という言葉があるように

言葉にはそれぞれパワーがあります。

 

美しい言葉には美しい光が

汚いことばにはそれなりの影が宿ります。

 

ネガティブになったとき

否定的な言葉を自分にかけ続けたら…

どうなるかは言わずもがな、ですよね。

 

ネガティブになったときこそ平常心。

そして

元気になる言葉、優しい言葉、少しでも笑える言葉を自分にかけてあげてください。

 

「つらいよね」「がんばったね」

「大丈夫だよ」

「そんな私でも好きだよ」

「なんとかなるよ」

 

何かに行き詰ったとき

トラブルがあったとき

しんどくて闇落ちしそうなとき

逆に

上手くいってて幸せなときでも

 

本当はどんな風に思うのか、一度フラットになって正直に綴ってみてください。

 

「そっか、そう思ってるんだね~。」

書くことを通じて自分を受け止めて自分と会話してみてください。

 

そうすると…

自分の中の自分が喜んで、意外なことまで話してくれるかもしれません(^v^)

 

そこから解決の糸口・人生のヒントが見つかることも往々にしてあります。

 

日記でもブログでも

スマホのメモでもいい。

 

心の引っ掛かりやひらめき、アイデア

気になる事柄(四字熟語や夢でみたこと、絵や食べ物なんか)

なんでも思いついたときに書いてみてね。

 

きっと自分のためだけのアドバイスになってくれるはず。

 

ちなみに私は

現状2冊のノートに

✔スピリチュアルな気づき関係

✔ヨガ、呼吸、身体の気づき関係

と分けて書いていたりします。

 

ということで今回はおしまい。

みんなが笑顔でいられますように。

 

読んでくれてありがとう。またね。

error: Content is protected !!