もしも、もうすぐ死んでしまうとしたら。
- 2024.04.20
- 2024.04.21
- コラム
こんにちは。さきちです。
ときどき、もしも近いうちに死んでしまうとしたら?と想像することがある。
わたしは、なんというか、
ここのところ、死ぬことに対して昔ほど恐れを抱かなくなっていて、
いつか自分もこの世を卒業できることを楽しみにしている気持ちすらある。
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やることをやりきって、生き切った!と思えるようにしたいとも思う。
だけれども、もしも生きてるうちに『自分の死』を臨場感を持って感じられるとすれば、
それは本当にまれなことであって
大きな事故に遭うとか深刻な病気になるとか
あるいは身近な人が亡くなるとか。
そういった事情がなければならない、と思っていた。
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わたしは、他人の感情を自分のことのように感じることができる。
無防備にしていると疲れてしまうので、調整が必要です。
最近はこの特質をなるべく出さないように抑制することができているので、昔のようにあちこちで感情が暴走してしまうこともない。
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でも今日は、
『余命宣告を受けたその人』の感情を
まるで自分ごとのように感じ取ってしまった。
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奇しくもその方が亡くなったのは今の私とほぼ同じ年齢で、かつ同性で、共通項が多かった。
その方はすでに16年前に亡くなっているのだけれとど、見ず知らずのその女性は、
病気になってから
『大地と空に感謝が湧いてきて仕方なくなった』
と言ったそうだ。
そして、空と大地の写真を撮り続けていたと。
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その話を聞いた瞬間…
急にその人の感情が私にも湧いてきて…
なんとも言えない気持ちになりました。
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近いうちにこの世を去る寂しさや切なさ。
と同時に
自然に対して、こんなにも感謝を感じられる自分に喜びを感じている。
大いなるものを感じ取れる喜び。安心感。
美しいものを、そのまま素直に美しいと表現できる自分への誇らしさ。
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死をすぐそこに意識したからこそ
生をより鮮やかに感じられる。
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相反するように思える2つの側面が、
実は表裏一体だったと気付いた瞬間。
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目の前にある現実が生き生きと輝き出し、
全ての人を尊く愛おしく感じられる。
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すなわち、これが己を捨てた瞬間。
なんだと思う。
捨てるというのは、自分を大切にしない事なんじゃなくて、
生きているだけですごいことなんだと自分への敬いが生まれ、欲がなくなり、
自分と他のものが分け隔てなく同等に、紛れもなく素晴らしいと感じられる境地なんだと思う。
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誰かがくだらないと思うようなありふれた出来事も
埃にまみれたおもちゃも
道端に咲く小さな小さな草花も
目の前のものがどんなものであっても、すべてが同じように輝いて見える。
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わたしは『明日死ぬ』と想像してみても、この気持ちには気付けなかったし、感じ取れなかった。
終わりまでにすべきことは?と焦燥感しか出てこなかった。
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だけれども、この方の言葉のおかげで
この方の人生の最後をを生きる姿勢を感じ取る事で
私はこの境地に触れることができた。
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子どもたちの洗濯物を丁寧に干してあげる瞬間に『生きるってこういうことだ』と実感できた。
一つ一つの日常を丁寧に感じ取ること。
自分の持ち物を整理して、1つ1つのモノに愛情を注げる状態。
子どもたちの表情やしぐさを余裕をもって、しっかり捉えられること。
呼ばれたらすぐ応えられること。
それこそが私の望むことだと思えた。
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きっかけは、人によって違うと思う。
私のタイミングは、この方のこの言葉だったにすぎない。
同じ言葉を、違う時期に聞いてもピンとこなかったかもしれない。
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そんなわけで、私にとって、とても大切な一日になりました。
この感覚を忘れたくなくて、ここに記しておきます。
それでは、またね。
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