深いところで自分と繋がっていることに気づくと?
- 2025.05.31
- スピリチュアルな世界

こんにちは。さきちです。
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どうしても書いておきたいことがあります。
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私たちが根拠なく
『自分を愛したい』と願っていること
『自分を知りたい』と求めていること
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その理由がわかったとき
私たちは
深いところにある
自分の大いなる本質と
太く強く繋がることができる。
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どんなに周りから批判されようと、
誰も認めてくれる人がいなかろうと、
私たちは
自分のことを諦めることができない。
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誰かと比べて落ち込む時も、
誰かを羨んでしまう時も、
それでもやっぱり
自分のことを大切に思っている。
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自分ならきっとできる。
自分ならいつかできる。
そんな風に自分を励ますことをやめない。
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そして
自分はどんな人間なのか
どんな存在なのか
自分に対する好奇心や探究心は
決して枯れることはない。
自分を知りたくて、愛したくて。
その気持ちに気付き、
正直にその疑問の答えを求めた時、
それは訪れた。
時間はかかったけれど。
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なぜ、自分を愛したいのか、自分を知りたいのか。
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それは
自分の深いところにある本質が
あなたのことを、
今この文章を読んでいる
今ここにいる
“自分”のことを愛してやまないから。
そして身体をもつ私たちを通じて
いつも
自分を知ろうとしているから。
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私たちが
物心ついたときから求めている
『自分自身』に対する探究は、
あなたの本質が求めているもの。
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そして、その本質なるものは
私たちのことを
言葉にできないほど大切で
かけがえのないものだと思っていること。
そのことが
魂を通じて私たちの意識にあがってきている。
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それをずっキャッチしていたから
私たちは自分自身を知ろうとしたし
愛そうとした。
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本当に
私たちは自らの本質と
生まれてこの方
ずっとずっと繋がっていたことを
わたしはようやく
腹の底から理解することができた。
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私たちが普段使っている小さな意識が、
すっぽりと深い部分に落ちたような、
本質が前に出て来て全体を包み込んだような
そんな安心感が生まれている。
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それは
そう思おうと努力することでも、
頑張って理解することでもなく。
ただ『あぁ、そうだったんだ』と気付くことで訪れる。
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目の前が急に明るくなったり
感情が消え去ったりするでもなく、
ほとんど以前と変わっていないように見えて、
それでも
水面下では大きく波打つように動いている。
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小さな意識が後ろの方に下がって、
頼りになる何かがどしんと構えているような身体の感覚。
安心感。
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私たちはずっと
これらの問いをこころに秘めたまま
日常生活を送ってきた。
日常の中に
これらに気付くヒントが隠されている。
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“自分のまま”で自分を愛することや
自分を知ることは難しい。
いったん”自分”というものから離れてみなければ。
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『自分を知りたい』
何よりもそれをしたかったのが
私たちの大いなる本質とでもよべばいいかもしれない存在で、
身体をもつ私たちが
その一端を実感するためには
“自分という衣”を脱いでみなければならない。
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人間として感情を味わうこと。
そして同時に
それを俯瞰してもみていられること
この両方の視点を得ることができたなら、
私たちは
この世界を自由に楽しむことができる。
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だから怒りも悲しみも、あっていい。
だけど怒り続けることも悲しみ続けることも
もうできない。
いつも本質と繋がっているから。
そのことに気付いていて
一歩引いて見ている自分がいるから。
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