深いところで自分と繋がっていることに気づくと?

深いところで自分と繋がっていることに気づくと?

こんにちは。さきちです。

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どうしても書いておきたいことがあります。

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私たちが根拠なく

『自分を愛したい』と願っていること

『自分を知りたい』と求めていること

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その理由がわかったとき

私たちは

深いところにある

自分の大いなる本質と

太く強く繋がることができる。

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どんなに周りから批判されようと、

誰も認めてくれる人がいなかろうと、

私たちは

自分のことを諦めることができない。

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誰かと比べて落ち込む時も、

誰かを羨んでしまう時も、

それでもやっぱり

自分のことを大切に思っている。

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自分ならきっとできる。

自分ならいつかできる。

そんな風に自分を励ますことをやめない。

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そして

自分はどんな人間なのか

どんな存在なのか

自分に対する好奇心や探究心は

決して枯れることはない。

自分を知りたくて、愛したくて。

その気持ちに気付き、

正直にその疑問の答えを求めた時、

それは訪れた。

時間はかかったけれど。

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なぜ、自分を愛したいのか、自分を知りたいのか。

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それは

自分の深いところにある本質が

あなたのことを、

今この文章を読んでいる

今ここにいる

“自分”のことを愛してやまないから。

そして身体をもつ私たちを通じて

いつも

自分を知ろうとしているから。

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私たちが

物心ついたときから求めている

『自分自身』に対する探究は、

あなたの本質が求めているもの。

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そして、その本質なるものは

私たちのことを

言葉にできないほど大切で

かけがえのないものだと思っていること。

そのことが

魂を通じて私たちの意識にあがってきている。

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それをずっキャッチしていたから

私たちは自分自身を知ろうとしたし

愛そうとした。

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本当に

私たちは自らの本質と

生まれてこの方

ずっとずっと繋がっていたことを

わたしはようやく

腹の底から理解することができた。

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私たちが普段使っている小さな意識が、

すっぽりと深い部分に落ちたような、

本質が前に出て来て全体を包み込んだような

そんな安心感が生まれている。

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それは

そう思おうと努力することでも、

頑張って理解することでもなく。

ただ『あぁ、そうだったんだ』と気付くことで訪れる。

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目の前が急に明るくなったり

感情が消え去ったりするでもなく、

ほとんど以前と変わっていないように見えて、

それでも

水面下では大きく波打つように動いている。

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小さな意識が後ろの方に下がって、

頼りになる何かがどしんと構えているような身体の感覚。

安心感。

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私たちはずっと

これらの問いをこころに秘めたまま

日常生活を送ってきた。

日常の中に

これらに気付くヒントが隠されている。

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“自分のまま”で自分を愛することや

自分を知ることは難しい。

いったん”自分”というものから離れてみなければ。

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『自分を知りたい』

何よりもそれをしたかったのが

私たちの大いなる本質とでもよべばいいかもしれない存在で、

身体をもつ私たちが

その一端を実感するためには

“自分という衣”を脱いでみなければならない。

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人間として感情を味わうこと。

そして同時に

それを俯瞰してもみていられること

この両方の視点を得ることができたなら、

私たちは

この世界を自由に楽しむことができる。

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だから怒りも悲しみも、あっていい。

だけど怒り続けることも悲しみ続けることも

もうできない。

いつも本質と繋がっているから。

そのことに気付いていて

一歩引いて見ている自分がいるから。

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