地球人の人生を最後までやり抜くコツ
- 2025.10.15
- 2025.10.29
- スピリチュアルな世界
現在、わたくしはコロナ(おそらく)闘病中です。
頭痛、関節痛、腹痛、発熱、咳、鼻水などあらゆる風邪症状をまとったわたくしではありますが、
なぜか頭脳はしっかり冴えておる次第ですので、
タイトルの通り、
この地球を(なんとか)うまいこと生ききる”コツ”(のようなもの)を書いておこうと思います。
まぁ、、もちろん私の備忘録としての役割も十二分にありますが、
どなたかの役に立つ事があれば、これ以上にうれしいこともありません。
先にひとつだけ留意点があります。
これから先に書いてある内容は
今現在、私が確信している内容であります。
今後もしかしすると、微細に変化することがあるかもしれません。
そのときには、また都度、追記したいと思っています。
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とはいえ、この人生をかけて
理解したいと望んできたことが
ようやく繋がった
といえる段階まできたので、
書き残します。
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言葉で表現できない”感覚”のようなものもあり、
文章が多少抽象的になるかもしれませんが、
(スピリチュアルに精通しているいないにかかわらず)なるべく誰にでも分かりやすく書きたいと思います。
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まずはじめに、心持ちの部分において
いの1番に言いたい事。
それは
この世が、
この地球における人生が、
デフォルトととして『大変』であること。
あるいは『ストレスフル』なものであることを自覚しておく必要があります。
お釈迦さまも言っております。
『人生は苦である』と。
思い通りにならない、と。
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こう言うと、
絶望的になる方がいるかもしれませんが
このように理解しておくことで、ひとつ、自分の人生に対するハードルが下がります。
つまり、
この人生で何らかの苦労があったとしても、
それは自分に限ったことではなく、多くの皆がそうであること。
そして、それ(不幸に感じること)が特別なことではなく、当たり前に起きうることなんだと思えることは安心材料になるのです。
その上で人生を、どう理解して歩んでいけばいいのか。
それを考えていきたいと思います。
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まず、自分の人生を出来うる限り一所懸命に生きること。
当たり前のことだけれど、そうして欲しい。
何かを始める前に諦めたり、
自分を卑下したり、
責任を放棄したりせずに
とにかく一所懸命に目の前のことをやって、
1日1日を、1時間1時間、1分1分を生きて欲しい。
その中で起きてきた出来事を見つめ、
ときに受け入れ、ときに受け流しながら
自分の精神と身体が健康でいられるようにバランスをとって欲しい。
不安や心配が訪れて感情が爆発しそうになったら
その感情が”自分そのものではない”ことを思い出してほしい。
感情と自分とは意識しなければ多くの場合一体化しているし、一体化しているときには感情がまるで自分自身であるかのように感じられる。
でも必ず、いつかは雲のように消え去るもの。
それが感情。私たちの外側にあるだけです。
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そして、感情に縛られて苦しくてたまらなくなったり、ある種の出来事に思考が囚われてどうしようもなくなったら、
『私にはどうしたらいいかわかりません』と
考えたり感じたりすることを放棄して下さい。
思考に入り込んで抜け出せなくなっているのに、さらにそれを自分でなんとかしようとするのは、無理というもの。
潔く諦めてほしい。
これは人生を放棄することではなく、自分を守るための方法です。
むしろ積極的撤退してなのです。
そうして心に余白を与えて下さい。
難しすぎる問題を1人で抱えないこと。解決しようと躍起にならないこと。
私たちの背後には、見えない力がさまざまに働いています。知ろうが知るまいがそうなのです。
意識せずとも心臓が動き、血液が流れるのと同じです。私たちはただ知らないだけです。
その大いなる力をも、自分のことと同様に信頼して下さい。
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また、必ず起きること、
『死』を不必要に恐れないこと。
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そして同時に、恐ろしくて当たり前なのだと
恐ろしくなる自分をゆるしてあげること。
人は知らないことは怖くなる。当然のこと。
現代人にとって死とはほとんど観念であり、概念であり、怖くて当たり前なのだと。
身近な人の死であろうと
自分の死であろうと
時に恐ろしくてたまらなくなって当然なんだ。
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その上で、
『死』は全くの”終わり”ではなく、
魂はきっと続いていくとそんな風に信じておくこと。
これは想像的な理解でも構いません。
実際のところ、お寺の和尚さんでも
死後の世界を全ては理解できていないと思います。
だとしても、日本人なら特に
命が繰り返し続いていくことを
直観的に知っている人が多いのではないかと思います。
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【苦しくなったとき】にできる方法がいくつかあります。
いずれもその状態、囚われの周波数から脱出する(ズラす)方法です。
一つは、軽さです。
バカげるほどに(人が聞いたらちょっとおかしいと思われるくらいに)軽い考え方を取り入れる方法です。
一言で言うと…真面目さを捨て去ることです。
こうでなくてはならない!なのに、そうならなかった!
こうであるべきである。こうでないものは許されない。
その否定はやがて自分に向くか、他人に向くか、しながら続いていきます。
方向性は違えど、重たい周波数にずっと囚われていることに気付くことが大切です。
べき、ねばの思考が強いのは、執着とも言えます。
執着にはクセがあり、人それぞれに違います。
どんなテーマに反応してしまうか、人により個性があります。
自由、正義、道徳、人間関係、地域社会、政治的なこと、暴力的なこと、金銭的なこと、性的なこと、、、
私の場合は”家族”に執着が強いです。
ですから、その周辺の偏った思考(過度な不安や心配、恐れ)に陥った時には注意が必要で、
意図して”軽く”なる必要があります。
家族に対する愛はこうでなければならない、、、
家族ならこうするべき、、、
そこにそんな重さ(真面目さ)があるのです。
そもそも感情や思考で全てを理解することはできません。
これが正しいとは言い切れないのです。
単に自我が『正しい』と信じ込んでいるだけなのです。
別の考え方があること。
多くの視点があることを理解して、
客観的に、俯瞰的に、物事を見ることです。
この世にある存在が全てフラットで、仲間であること。優劣がなくただ生きていること。
自分も相手も尊重し、
ときに出会い、ときに別れ、
そこに感情はあっても、正しいかどうかなど判断がつくものではないことを理解しておけばいいと思います。
周波数は、
音楽を聴くこと、歌うこと、笑うことなどでも実感として迅速に変化します。
そして優しい言葉を発すること。微笑むこと。
丁寧な行動(仕草)などでも変わります。
自分なりの方法をぜひ見つけてみて下さい。
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Q. 人が〇〇してくれないの不満
嫌なことをされる、ではなく
自分ばかりがやっているのが目についたり、
自分が損していると感じるときの対処法。
相手にそれを言うと嫌な空気になったり、関係が壊れる可能性もある。
そんな時は、自分の行い(あるいは優しさ)が
どこか別の場合、別の出来事を通じで返ってきていると信じること。
不満を感じるその人から、別の方法で返ってきてるけれど、気づいてないかもしれない。
またはその相手ではなくても
別の人の優しさを通じて返ってきているかもしれない。
方法は問わないけれど、優しさは優しさで絶対に回り回って返ってきています。
だから大丈夫。
自分が安定していれば、
忘れた頃にその人から同じ”優しさ”が返ってくるかもしれないよ。はっきりとわかる形でね。
それもまた楽しみじゃない?
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Q. 人の言葉で傷つくときには?
言葉とは、人を励まし勇気づけることができる一方で、深く傷つけることもできてしまう。
そして実は、言葉はなにより限定的である。
無限に表現ができるようで、
言葉にしてしまうと、得たものの1/10も表現できないように感じることもある。
だから言葉が全てではないことを理解しておく必要がある。
言葉は発する人の一部ではある、
だが全部ではない。
だから言葉の後ろ側にあるエネルギーを、私はいつも感じています。
そうすれば言葉の意味に囚われていつまでも不用意に傷つくことはなくなります。
もっと言えば、そのとき相手が持っていたであろう感情も、自分の持つ感情も、すべて私たちのものではなく、泡のように消えゆくもの、ですからね。
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Q. 思考がネガティブに偏って止まらないとき
頭で考えすぎずに、早めに行動する。
思考は基本的に行動をストップさせます、、
できない理由をあげるプロです。
不幸な結末を想定するプロです。
それは私たちを守るためではありますが、私たちはそこを乗り越える必要があります。
故に思考を黙らせて、やり抜く強さが必要です。
それはやがて経験となり、自信となって新たな道を作ります。
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もしも思考で頭がいっぱいなったら、
とにかく自分を”一瞬忘れる”ようなことをして下さい。
奇抜なダンス、柏手を打つ、発声、没頭できる音楽、楽器を弾く、お風呂に入る、アロマ、お香の匂いを嗅ぐ。何でもいいです。
瞑想より先に、意識をズラすことが肝要です。
頭と心に余白を作れば、そこに別の(プラス方向の)エネルギーが入る余地が生まれます。
なぜなぜ?でいつぱいの
悲劇のヒーロー、怒れるヒロイン状態では、安心の周波数と共鳴できません。
いったん、今の自分と距離を取れる何かをします。
エゴが抵抗しますが、無視します。
私の感覚ではエゴは感傷的だったり、心配事だったり、その人をそこに留めおく状態に
ある種の恍惚を感じているように思います。
エゴの声だと判断できるようになると、気分の切り替えもスムーズにできるようになります。
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Q.もしも一つだけ自分の智慧を子どもに教えるとしたら?
A.何があろうと必ず自分自身を認める、と決めて生きること。
どんなミスをしようと、過ちを犯そうと、非難されようと、
人から叱責されようと、反論されようと、怒られようと、
自分のことを認めると自分で決めて生きる。
自分が自分の最大の味方であり、応援者であり、理解者であることです。
人に対してこんなことを言う必要はありません。
ただ、自分に対して決意しておけばいいのです。
そうすれば人から批判されることが怖くなくなります。
人から批判されるのが怖いのは、実は、同じように自分が自分を批判し出すのが怖いのです。
自分が自分を批判することほどこの世で恐ろしいことはありません。
批判する他人は避けられますが、批判する自分自身は避けることができません。それこそ地獄です。
おそらく多くの人がこの罠に陥っています。
別に『私は私を認めています』などといちいち人に言う必要はありません。
自分がそうだと知っていればいいのです。
私は決して自分を責めることはしないよ、だから安心していてね、と。
最大の味方が自分であること、それは何より心強く生きていく勇気を与えてくれます。
それでもいいんだ、それでも大丈夫、
よくやってる、すごいね、がんばったじゃん、
私はあなたのことを1番よく知ってるよ。
私は、私を傷つけない。
まとめ
スピリチュアル(精神)と行動(身体)のバランスをとる。
スピリチュアルを大切にしている人ほど、地に足をつけて生きる。
目の前のこと、周りの人、そして自分を何より大切にして精一杯生きる。
自分の内側をいつも注視しながらの外とのバランスを取ります。
自分が安定していることを確認しながら
自分と近しい人たちとのバランスを取り、
その輪を少しずつ広げて社会との関係でもバランスを取る。
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思考が『できない』と言うことを『やってみせる』。
それが本来の、本質の私たちが、
この地球でやりたくて仕方ないことなんだと私は思う。
1人でいるときにはスピリチュアリティに溢れていても、、、
その優しさだけでは社会は生き抜けなかったりする。愛が通じない人もいる。
思ったようにいかないし、びっくりするようなことが平気で起きる。
自分ってなんて世間知らずなんだろう。あまちゃんなんだろう。
私の生きる意味ってなんだろう。
居る意味って?
思考は繰り返す。自分を傷つける言葉を反芻する。
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生きる意味なんて、ない。
そう言われたらどう思う?
生きるって初めから苦しい。
デフォルトで『ハード』モード。
だから一歩一歩、自分のやり方で進めばいい。
面白がることを忘れないで。
障害物が見えたら超えてみてもいいし、横から迂回してもいい。
未来も過去も考えずに、ただ目の前の一歩を
あなたらしく。
肩の力を抜いて。大丈夫、きっとできる。
ストレスフルなこの地球でも。
私たちはできるんだということ。
やってみよう。やってやろうじゃん。
軽く。しなやかに。強く。
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