「自分らしくいること」の難しさ。「自分らしい」ってなんなんだろう?
「自分らしくいる」ということは、こうも難しいことなのか。と最近よく思っています。
さきち(@aoopena)です。
自分をごまかしたり、飾ったりして生きてきた時間が長いから、自分が本当はどんな人だったのかということがわからなくなりかけています。
皆さんは、誰かの期待に応えようとして、その場に合わせて自分を変えてしまったりした経験はありませんか?
これって意外と現代の社会ではありがちかなぁと思います。
例えば…
✔成績が優秀であるべきだとか、
✔スポーツができるべきだとか、
✔女性らしくするべきだとか。
そういった目には見えないけれど、ひしひしと感じるプレッシャーのようなものが、これまでの人生の中には、たくさんあったように思います。
子供はとても純粋なので、周りから得る様々な情報から、「自分にどんなことが期待されているのか」ということを察する能力があります。
「知り合いの〇〇くんが有名校に進学したよ!」と聞けば、「自分も優秀な学校に行かなくちゃ!」と無意識で思うようになったり
テレビを見ながら父母が「一芸に秀でている人はすごい」と言えば「そうなるように何か見つけなくちゃ!」なんて思ったり。
家庭の中でも、学校の中でも、いつの間にか【周囲によって作られた理想像】に近づくよう、努力している自分がいました。
無意識のうちにね。
それは、決して絶対的に悪いことではないのだと思います。
その理想像に自分をガチガチに当てはめようと苦しまなければ…。
そこで今回は、自分が苦しくならないように、「自分のままでいる」ということがどれくらい大事なことなのか、考えてみたいと思います。
「自分のままでいる」ことが許されない社会
日本の学校がすべてそうだとは言えませんが、おそらく多くの学校に「校則」と言うものがあると思います。
集団生活をする以上、校則は最低限必要だと思います。
しかし、生徒の個性をダメにするような校則は必要ないと個人的には思っています。
私の中高時代
私は、東京の女子校の出身です。
中学・高校共に制服があり、節目節目の時期で「制服検査」と言うものがありました。
制服をきちんとした丈で、正しく着られているかどうかを調べる検査です。
✔スカートの丈は適切な長さか
✔ブラウスのボタン等は外れていないか
✔眉毛を描いていないか
✔アイプチをしていないか
✔メイクをしていないか
など、先生と一対一で対峙して、細かいチェックが入ります。
当時は当たり前のようにこの検査を受けていましたが、今となっては疑問に感じています。
そもそも、どのような服を着ていたとしても、そのことでその人自身の評価を落としたりすることは正当とは言えないと思うからです。
ある程度の清潔感は重要かもしれません。
しかし、制服は画一的な形式で、どんな人にも同じようなラベルを貼ってしまいます。
「思春期」という個性が最も爆発し、伸ばされるべき時期に、学校がそれを押さえつけてしまっているのです。
制服検査に今、思うこと
私の通っていた学校では、
化粧しているとか、髪を巻いているとか、スカートを短くしているとか…
たったそれだけのことで、親は呼び出され、その子はある種「不良」の烙印を押されてしまっていました。
先生たちからは、「問題児」の扱いを受けて、学校におけるその子の居場所をどんどんと狭めてしまっていたのを覚えています。
学校には、様々な家庭環境の子がいます。
制服をきちんと着ているからといって、内面が整っているわけでもない。
制服をきちんと着てないからといって、その子が不良なわけでもありません。
先生と生徒が、もっと内面をぶつかり合える環境があったらよかったのになぁと思います。
自分に対する評価基準が他人になってしまった
私は学校内においては、真面目でも不真面目でもないタイプでした。いわゆる普通の生徒です。
運動部に所属していて、部活も勉強も中くらい。学校もそこそこ好きでした。
そんなに学校に大きな影響を受けたとも思えない普通の生徒だったのに、いつの間にか「友達の期待に応えたい」とか「先生の期待に応えたい」とか、「親の期待に応えたい」とか…
「自分」というこの世で一番大切なものが、なくなっていたように思います。
周りから高い評価を得ることでしか、自分の満足感を上げられなくなっていました。
いわゆる承認欲求ですよね。
人から褒めてもらえなければ意味がない、そんな風に思っていた気がします。
これがだんだん、自分を追い詰めるようになります。
でもどうしてそうなったのか、よくわからないのです…。
職業選択の時期にも
「自分がどういう職業につきたいか」ということを考えたときに、法学部への進学を自分では自分の意思で決めたつもりでした。
でも、よくよく考えれば「親や先生からどう思われるか」と言う要素が全くなかったとは言えません。
社会的にはどうかとか、友達から一目置かれるだとか、そういうことも知らず知らずのうちに、考慮に入れていたんだと思います。
考えてみると、恐ろしい。
自分を取り戻すために
長い間「他人」を考慮に入れて過ごしてきたので、自分が本当に好きな事は何なのかが分からなくなってしまいました。
これを取り戻すためには、もしかしたら、これから長い時間がかかるのかもしれません。
そして、思春期の頃してこなかったいろいろな体験を、どうにかして、これからするしかありません。
その意味では、「自由な選択ができる大人になって良かったなぁ」とも思います。
親になって思うこと
私が親になって常々思う事は、娘と自分が別の人間であることを忘れてはいけないな、ということです。
私は娘より長く生きてはいるのだけれど、経験値が充分であるとは思いません。
危険な道をどうにか避けてあげることはできるけれど、娘が本当に進みたい道は自分で見つけるしかないと思います。
その決断をしっかりできるようになってほしいと思います。
周りの人にどう思われても、この道を絶対に進みたい!と思えるようなものを見つけてほしいと思います。
学校や社会のルールを最低限守る事は重要なことですが、
どうしてこのルールがあるのか
ルールを盲目的に受け入れるだけでなく疑問を持てる人間になってほしいと思います。
自分らしくいること まとめ
「自分が自分のままでいる」ということは、人が社会の中で生きていると、とてもとても難しいですよね。
誰かに期待され、その期待に応えたい。
この環境に順応しなければ生きていけないかも。
という場面が数多くあります。
そのために、自分を変化させなければならないことも多いです。
でも。そのせいで自分を見失ったりストレスを抱えては、全然意味がありません。
ここを突破するためには、自分を大切にして、自分の声によく耳を傾けることが大切だと思います。
私も娘と一緒に、自分探しをしてみようと思っています。
今からでも遅すぎることはない、きっとね。
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