【視線に意識を】目で見ることは「愛でる」こと。

【視線に意識を】目で見ることは「愛でる」こと。

こんにちは。さきちです。

 

今日の気づきをシェアします。ドライブしてるとき降ってきたこと。

ハイライトはタイトルどおり。

早く書かないと忘れてしまう!!!(笑)

 

私たちは目で見た先の対象物(モノ)にパワーを与えることができる、ということです。

早速いってみよう。

 

目から光線

子どもの頃、ウルトラマンか何かで目からビームを出しているシーンがありましたよね。(古い)

目から光線なんか出るかいな!と思うけれど、実際私たちの交流(人と人とのつながり)は視線を合わせることから始まります。

視線には私たちが想像している以上のパワーがある。

 

私たちはモノをじっと見つめることで、そのモノに対して「触れたい」「声をかけてみたい」など「もっと知りたい」という好奇心を持つことができるようになります。

 

自分の視界に”何か”を入れることで、その何かはあなたにとって「意味」を持ち始める。

逆を言うと、視界に入ることができない限り、そのモノはあるかないかもわからない。あなたの世界にとっては存在していないことになります。

 

それくらい目で見ることは私たちにとって世界を創り出すきっかけになっていると言えます。

 

視線を向け続けること、そのモノを見続けることで、その対象物は「愛で」られ、人とその先のモノとの間に絆や交流が生まれます。

愛ある視線を向けられたモノはパワーを得ることができる。

だからより多くの視線を得たものは、それだけ大きなパワーの恩恵を受けることができるとも言えます。

 

視線を向けることは、愛を与えること。

 

今日伝えたい本題はここまでですが、補足として付け加えたいことを以下に続けたいと思います。

目を見て挨拶をすること

私から見ていると、目を合わせたり、目を見て挨拶することは単なる儀礼ではなく、お互いにエネルギーを交換しているように見えます。

元気のある人と挨拶をすると元気をもらえるし、目を伏せがちな人と挨拶をすると…少し残念な感じになります。(笑)

 

子どもに対してもそう。

大切な話をするときはテレビを消します。タブレットを置かせます。

「ママの顔を見てごらん」と諭します。

 

大人も子供も同じ。視線の向く方向が意識が向いている方向です。

 

シャイな人はなかなか目線が合いづらいですが、その場合は無理に視線を合わせなくても大丈夫。

声をかけたとき、一瞬でもこちらを見てもらえたなら、エネルギーの交換をすることができます。

 

これは不思議なのですが、人見知りらしきママに何度も挨拶をし続けていると、たまにこちらがあまり元気のないときに向こうから挨拶をして来てくれたりします。

結局世界はバランスでできていますね。

 

目で見ることで情報をキャッチする

私たちは「視線」というものをもっと大切にすべきだし、見たいものと見たくないものの線引きもしっかりするべきだと思う。

目で見る以外の身体機能でも情報をキャッチすることはもちろんできるけれど、現状多くの人は目からの情報が多いように感じます。

 

だからこそ視線を向ける先にはもっと注意するべきだと思っています。

見るということは、そのもののエネルギーを取り入れること。

見ないということは、そのエネルギーは自分の世界には入れないと宣言すること。

 

無数の情報から構成されている私たちであるからこそ、情報の取捨選択にはもっとシビアであるべきだと思う。

ハートはいつもオープンでありながらも、心配や不安を煽る情報を安易に取り入れてはいけないと感じます。

私たちはあまりにもさまざまなメディア、情報に無防備だと思う。

 

世の中がどうであれ、自分を健康で快活に保つためには「触れる情報を選ぶ」「見るものを見極める」ということが必要だと強く思っています。

 

情報に触れると「感情」が動きます。この感情の揺れ方にどうか注意してください。

「怒り」「正義感」「責任感」「自己犠牲」「恐れ」「焦り」「悲しみ」「自己否定」

こういったネガティブに沈むような感情を刺激するものには何度も触れないようにして、自分を朗らかに平和に温かい気持ちでいられるようにしてあげてください。

 

これからの時代がどうであれ、なにより自分自身を大切にしていつも穏やかにいたいと私は願っています。

 

今日は視線にまつわるお話でした。

 

では、また。

 

 

error: Content is protected !!