バセドウ病からの復活。私流病気の治し方。

バセドウ病からの復活。私流病気の治し方。

こんにちは。さきちです。

今回はタイトルにもあるとおり、10年以上患っていたバセドウ病(甲状腺機能亢進症)から復活した話をしたいと思います。

薬の服用をまったくしなくなって、ちょうど1年経ちました。

 

私が思う病気の治し方について書いてみますが、あくまで一個人・一患者の意見ですのでその点はご了承ください




バセドウ病は私が望んだこと

以前にも書いたかもしれませんが、

【甲状腺機能亢進症】私が病気になった理由を理解した瞬間と寛解できると確信したワケ。

私は甲状腺機能亢進症と診断されたとき、頭の中が真っ白になってショックを受けつつも、どこかで、「なぜ病気になったのか」を理解しているような自分もいると感じていました。

 

でも、その部分は見ないようにしていました。

 

悲劇のヒロインでいたかったからです。

仕事もプライベートも、私はとにかく休息が必要だと感じていて、病気であることをその正当な言い訳にできたからです。

 

健康な状態のときに、勇気を出して自分のやりたいことを始めることができなかった。

ストイックに勉強をすることでしか自分の価値を見出せず、晴れて試験に合格し、就職してからもいい子で居続けようと頑張り続けて心はみるみる疲弊していきました。

 

この病気になったのは、「休みたい!」という私の心の叫びに身体が応えてくれただけ。

むしろ「ありがとう」だったのです。

 

病気は自分の望んだものである。

この事実を受け入れるのに10年かかりました。

 

病気の原因を見続ける必要はない

重大な病気になって初めて、人は自分の人生を真剣に振り返り始めます。

恐らくどんな人も、あれこれと病気の原因を思いつくだろうと思います。

 

食生活が悪かったから?

不規則な生活、ストレス過多、、、

自分で思いつけるその原因はたぶん当たっていると思います(笑)

 

だからといって、その原因に固執する必要はなく、

「そっかぁ、だから私病気になったのね。」となんとなく納得できれば、もうそれで原因を根掘り葉掘りしなくても良いのです。

 

原因を究明することは、過去の自分を否定することに繋がるからです。

どんなときも、あなたは(わたしも)一生懸命この人生を生きてきたはず。

過去を否定することも自分を責めることも全然必要ないのです。

 

あのときああすればよかった。こうすれば病気にならなかったのか?とあれこれ考えることは、私的には逆効果。

 

さて、じゃあこの病気、どうしたい?

自分に聞いてみてください。

 

治したい。

 

心からそう思えたなら。

もう治ったも同然です。

 

心の底から「治したい」と思えたなら。

もう治っています。

(ただ、病気で学ぶことがまだ済んでいない場合やその病気で寿命を全うすると魂が決めている場合は治らないこともある)

 

病気を言い訳にせず、

病気による留保をつけずに人生を歩める自分になっていたならば、

病気と握手をしてお別れすることができると思います。

 

私はある日突然、10年間(妊娠中も産後も)飲んでいた薬をやめ、人体実験を始めました。

薬をやめたらどうなるのか?自分に問いかけました。

 

 

大丈夫な気がする。

 

と根拠のない自信がありました。

 

今も通院は続けていますが、服用をやめても多少の数値の変動はあれど1年間異常は出ていません。

 

病院に行けば、自分の身体を数値化され、視える化されますが、それが私のすべてではありません。

自分のことは自分がよく知っている。

 

「薬を飲む」という行動自体が=病気である自分をこれからも認めること

に他ならないのだと、私は気付いてしまったのです。

 

自分への信頼を取りもどす

病気になる前の数年間、私はいつも自分を卑下し続けていました。

人と比べ、人をうらやみ、落ち込み情けなく思っていました。

表面上は楽しくやっていたかもしれない。

でも、心から笑うことは年に数回しかなかった。

 

何万回も心の中で自分を傷つけた。

そのことに当時は気付いてもいなかった。

身体は病気になる前、猶予をくれます。

 

「そんなこと続けていたら病気になっちゃうよ」「もっと自分を大事にして」

 

小さな不調を感じるはずです。

それでもなお、私は自分を傷つけることをやめなかった。

食べたいものややりたいことを押し殺して、目標にそぐわないことはすべて排除し、結果として自分から暗闇に落ちて行くことを選んでいました。

 

でも今、私は自分を大事にしています。

妻であっても母であっても。

子ども時代、無邪気にしたいことをしていた自分の声を聞くようにしています。

 

「自分を大事にできない人が、周囲を心から大事にできるはずがない。」

よく人から聞いていたその言葉の本当の意味を、私はようやく理解できるようになりました。

 

自分をないがしろにしてまで(犠牲にしてまで)人に尽くすことは、美徳のようで、決してそうではありませんよね。

育児もそう、介護もそう。

自分を犠牲にしてやる仕事(作業・生活)は、絶対に長くは続きません。

そして自分も周囲も、最後には共倒れる。

 

自分を大切にすると、もしかすると自分の中から「自分だけ良い思いして…」なんて心の声が聞こえるかもしれません。

でもそんなの完全に無視していいんです。

その声は、あなたの中の声ではない。

他人の声でもない。

「これまでやったことがないことをする」という本能的な不安や恐れからくるいわば幻想のようなものなのです。

 

私たちは誰より自分を大事にしていい。

それぞれが、それぞれを一番に大切にするために生まれてきたのだと思います。

 

 

自分を大切にしていると、自然と周りも変わってきます。

周りもあなたを大切にしてくれるし、そのもらった愛を今度はあなたが自然と周りに返せるようになるのです。

 

あなたというコップに、なみなみと水が溜まったとき、零れ落ちた分だけ周りに優しくできたらいい。

 

まずは自分自身が満たされること。自分からあふれ出た分だけ、人に分け与えられたらいい。

 

あなたが他人に微笑むだけで、世界は100倍、いや1000倍明るくなることを知ってください。

そして自分を10000%信頼してあげてください。

信頼していることを自分自身に伝えてあげてください。

 

内側から喜びが沸々と沸き上がってくるはずです。

 

病気はその人自身が治すしかない

病気を治すのは、お医者様でも薬でもない。

その人自身だと私は思います。

 

その人に治す意思と気力がなければいけないと感じます。

そばにいる大切な人に力をもらうことはできる、

でも最終的にはその人自身が「治したい!」「治りたい!」と心の底から願い、そう決めることで、そのエネルギーがダァーっと流れてくるように思っています。

 

結果はすぐには現れないかもしれない。

頑固に生きてきた人ほど、思い込みの強い人ほど難しいのかもしれない。

 

それでも自分を信じ、病気に感謝し「もう十分勉強したよ。さよならしたいんだ」と心から願えば必ず治る。

私は自分の経験からそう思っています。

(もちろん食生活の見直し、考え方の癖を直すなどいろんな方面からのアプローチも必要だが)

 

私とバセドウ病の10年以上のお付き合いも、もう終わりです。

私は病気にならなければ、傲慢な人間であり続けたと思う。

だからとっても感謝しています。いろんなことを教えてくれてありがとう。

 

そして、さようなら。

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