今以外、過去の自分はもう自分ではない

今以外、過去の自分はもう自分ではない

こんにちは。さきちです。

2024年2月8日木曜日 曇りのちうっすら晴れ

昨日と今日、ものすごく眠くて。

1日ぼんやりしてようかな〜。

と思ったけど、結局…入学準備の裁縫とかしちゃって。

休むのが苦手な僕です。笑

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タイトルの件なんだけど、何のこっちゃ?な人が多いかなぁと思うし、これを言葉で表現するのは、とてもとても難しい。

というより、言ったところで(常識的に)意味不明だから、理解してもらうのが難しいと言った方が正しいかもしれない。

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私たちは『今、この瞬間』を、生きている。

今!!というとき、1日とか1時間の事じゃなく、まさに”この瞬間“のことを言っている。(とわたしは理解している)

なぜなら細胞は、この瞬間に生きて死んでいるんだから。それを繰り返し続けているんだから。

つまり細胞分裂から考えて、(常に新しい細胞が生まれていることからして)一瞬たりとも同じ自分はいないということなんだよね。

(見た目は同じように見えてもね)

これを踏まえると、一年前の自分も、子ども時代の自分も、今とは全く違う自分であるということ。

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仮にそうだとしても、経験とか知識とかそういった過去からの積み重ねはどうなる?と思うと思う。

そこに連続性があるように感じるから。

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でも、当時持っていた知識(今と同じように思える知識)も、当時していた経験も、その瞬間味わったエネルギーであって、過ぎればそれは思い出すか振り返ることになる。

思い出すこと”は、今この瞬間にやっていることで、当時の知識や経験は、一見いつも自分にあるような気がするけれど、

今いる自分から、脳内にある”記憶”にアクセスしているにすぎない。

そして、その記憶ってのは今ある記憶だから、現状の自分のエネルギーに依存していて、当時の状態とは別のものになっているってこと。

ゆえに、今アクセスしている知識も経験も、過去のものとは別物で、全く新しいものだということができるということ。

難しいかな?

要約すると、

今と過去とは、身体的にもエネルギー的にも繋がっていないということ。

そんな風に思うと、過去からの連続性から解き放たれると思う。

別人がやったことなのだから、思い出したら穴に入りたくなるような恥ずかしいことも、もうクヨクヨしなくていいってことだね笑

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まさに今日1日をとっても、朝と夕とでは違う自分であると言えるんだよ。

そして、何年もやり続けてきたから、これからもやらなきゃということは1ミリもないということ。

人はいつ何を辞めてもいいし、いつ何を初めてもいい。飽きてもいいし、続けてもいい。

それはその瞬間の自分のエネルギーに従って選択すればいい。

だって、毎瞬新しい自分なのだから。

だから子どもがピアノを始めたいと言って大人たちは準備を始めたのに、急にやりたくないと言ってもそれは仕方がないってこと。笑

自然の摂理なんだよ。笑

子どもは今を生きるのが得意だからね。

今を生きようとすると、自分の中にめっちゃ抵抗してくる勢力がいるんだけど、振り切っちゃえば、もはやそこには自由しかない。

私たちは自由だ〜〜!!!

そいでは、またね。

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