自分の分け御魂の話

自分の分け御魂の話

こんにちは。さきちです。

 

実はある方に1年ほど前から、自分の魂がどの神さまの分け御魂でできているかを調べてもらっていました。

※スピリチュアル感高いお話ですので興味のある方だけお進みください(笑)

 

そして昨日。ついに回答が来ました。

 

私に魂を分けてくださったのはクシナダヒメ

クシナダヒメと言えば、神話の世界ではヤマタノオロチ伝説、そして荒ぶる神スサノオノミコトの妻となる女性の神さま。

私は以前からスサノオノミコトが御祭神の神社によく行くことがあり、合祀されていることも多いクシナダヒメのこともよく知っていました。

 

私に見えるクシナダヒメ ↑画byさきち

 

そして私の東京の産土神社も赤坂氷川神社と考えており、このお二人が御祭神でした。

私の中では以前からとてもご縁があるのでは?と感じていたので、何の違和感もなく、むしろ「やっぱり~!!」と嬉しかったです。

神界の両親と勝手に感じていたのも、あながち間違いじゃなかったと自分に自信が持てた(笑)

 

クシナダヒメのことが知りたい

「スサノオノミコト」という神さまは全国的に知名度も人気も高くて、存在感の大きさからスサノオにまつわるさまざまな謎をみんなが必死に解き明かそうとしています。

一方、その妻であるクシナダヒメについては、わりかし謎が多いというか、あまり調べられていないのか、その真の姿に迫りきれていない気もします。

 

名前だけは知っているけれど、弁財天や宗形三女神のようにその神さま単独で祀られる有名な女神様でもない。

瀬織津姫のようにスピリチュアル界で異様な人気を誇るわけでもない。

 

大国主命に繋がる系譜の母神であるにもかかわらず、あまり注目されないのはなぜなのだろう。

私は自分の分け御魂である神さまであり、日本の歴史においても重要な姫神であると感じたことから、クシナダヒメのことをもっと知りたいと思いました。

 

大和撫子のモデルとも言われる

けれどクシナダヒメのことを思う時、「注目されずとも、それでいいのよ」という感じがものすごくします。

控えめで、それでいて凛とした強さを持ち、

美しく華がある。でも前に出ない。

 

だけど夫がピンチのときは、頭にはちまきを巻いて槍を持って戦う強さと覚悟がある。(イメージ)

そんな妻像をひしひしと感じます。

 

他人からの評価はどうでもいいの。

私は私なのだから。

 

その想いにやけっぱちな感じはみじんもなく、ただただにこやかな自然体でそこにいる。

そしてその自信の裏付けは、夫から愛されていること。

 

私がクシナダヒメを思い浮かべると、そばにはいつもスサノオノミコトが寄り添っています。

2人は本当に愛し合っていた(今も)と思います。

お互いを尊び、敬い、愛し、それでいて互いに自立した存在だったはずです。

 

出雲風土記から読み解くクシナダヒメ

出雲風土記によると、クシナダヒメに関する記述は一か所だけ。

飯石郡の熊谷郷について書かれた箇所

郡家(ぐうけ)の東北二十六里の所にある。古老が伝えて言うには、久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめのみこと)が、妊娠して出産しようとなさるときに、生む場所をお求めになった。そのときにここに来ておっしゃられたことには、「とても奥深い谷である(久々麻々志枳-くまくましき)」とおっしゃられた。だから熊谷という。

久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめのみこと)がクシナダヒメだということです。

 

うーん。これじゃあ正直よくわからない。

この辺りに住んでいたらしいきことはわかるけど(笑)

 

解説をみると、

久志伊奈太美(くしいなだみ)=神秘的な御霊を持って稲田を見守る

等与(とよ)=豊かな

麻奴(まぬ)=玉

良(ら)=接尾語(ような)

すなわち

久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめのみこと)=神秘的な御霊を持って稲田を見守る豊かな玉のような姫神

だということです。

 

クシナダヒメに聞いてみると、やはり龍(水)とも関係している魂であり

ゆえに自然と調和することがナチュラルにできる存在でであったそう。

かつ自然の豊かな恵みを育む、育てる、その作物を食べるだけでなく他にも生かす(活かす)といったことに長けた力があったのだと。

そういった特異な能力を持つ者のことを周囲は「巫女」と呼んだのかもしれません。

 

特にこの時代の巫女さんの仕事は雨乞いでしょうか。

 

当時「巫女」という言葉があったのか分かりませんが、『神と通ずることができる者』もしくは『神そのもの』として尊ばれていたであろうことは想像に難くありません。

 

クシナダヒメからは

「育む」というキーワードがとても強く響いてきます。

 

小さな種が大きな作物になるまで見守る。そしてそこから種を取り、必要な部分は食して、また豊かな土壌へと循環させる。

末長くいつまでも土地を大切に使いたい。

土地は誰のものでもない。使わせてもらっている。恵みを頂いている。

という感覚が伝わってきます。

 

 

食と農耕を通じて人々を豊かにしよう

活気ある国造りができるようにしよう

 

豊かさと繁栄は”国”として多くの人々をまとめるのに必要。

だけれども一方で自然への尊崇の念を常に持ち続けていたと思います。

 

こんな風にバランスを取りながら自然と人間、双方を想う古代の神々が

出雲を栄えさせていったのだろうなぁと感じました。

 

 

 

ちなみに出雲風土記にクシナダヒメが1行しか出ていない点について、クシナダヒメは

『出雲風土記が作られた経緯を考えてご覧なさい。これは”出雲”という場所を鳥の目で俯瞰することを目的としています。概要をつかむためのもの。細かな神々のことは必要最小限でよかったのですよ。私のことが文字に残ったということだけでも意味のあること。文字に残らなかった多くの神々がいることも忘れないで。』

と言っていました。

勉強になりました。ありがとうクシナダヒメ。またいろいろ教えてね。

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