【子育てと魂の成長】子どもを抱きしめて一緒にワンワン泣いた日のこと
- 2022.11.08
- 子育て・夫婦の悩み
こんにちは。さきちです。
最近泣くことが多いです。(笑)
神社で浄化され泣き、
子育てで自分の内面を突きつけられて泣き。
先日、上の子と一緒にワンワン泣きました。
子育てであんなに泣いたのは久しぶりのことでした。
すぐ怒っちゃうことがつらい
子どもが二人に増えてもう2年半。
ずいぶんと二人の子といる時間に慣れたはず。
ですが、気が付くと
私はすぐ子どもたちにガミガミと注意していました。
「まぁええやない」と
気を楽に子育てしたいといつも思っているのに
子どもたちが目の前にいると
「座って食べろ」
「こぼすな」
「片付けろ」
「危ない」
「やめなさい」
と、すぐ口うるさく言ってしまいます。
特に上の子に対しては、割と強く言ってしまうことも多いです。
そのことに、自分で気づいてもいました。
だから「悪いなぁ」と心の中で何度も思っていたんです。
でも子どもたちと一緒に生活していると
どうしても小言や注意をすぐに言ってしまう。
もっと子供たちを自由にしてあげたいと思っているのに。
自分だって子供の頃、ガミガミ言われるの嫌だったはず。
「お父さんがいい」
一方で、私の夫である娘たちのお父さんは
怒ることが少なく、
8~9割がた優しいのです。
これは持ち合わせた性格なのかもしれませんが
夫は私にもほとんど怒ったことがありません。
「怒ることには生産性がない」
といつか言っていたのを思い出します。(冷静かよ笑)
娘たちのことが大好きで
私も、夫がいると安心できます。
そんな父親なので
娘たちもお父さんが大好きで
保育園のお迎えに私が行くと
「お父さんが良かった」と言われることもよくあります。
最初は「え~なんでそんなこというの~?」で
対応していたものの
何度も言われると
だんだんムッとすることが増えてきます。
そのうち
「いいから!はよ行くよ」と
子どもの発言を無視したりなんかします。
母も心では結構傷ついているのです(´;ω;`)
「そっかぁ、私やっぱり至らないよね…」
「嫌われちゃったかぁ、怒りすぎだもんな」
とか。
自分を責め始めて悲しくなったりします。
これを知らず知らずのうちに何百回も繰り返していて
「自分ってダメなやつ」
という感情を自分の内側にどんどんため込んでいました。
そうして
その日、保育園から帰った後も
なんだか元気が出ない状態で子供たちと向き合うことになりました。
母の愛を試す子どもたち
私も小さいころ、よく母の愛を確かめていました。
母が嫌がることをわざとして
その反応をみるのです。
「こんな風にわがままを言っても
あなたは私を愛してくれますか」
と子どもは無条件の愛をいつも求めています。
子どもの愛の充電メーターが少なくなると
必ずと言っていいほど
その”お試し”はやってきます。
母親にとっては
割としんどい試練です。
母だって体調が悪いとき
虫の居所が悪いとき
ネガティブモードのときがあるんです。
人間だもの。
元気があれば「んもうぅっ!」で済ますことができるかもしれません。
でも、
私はそれまでの積み重ねで
その日、保育園からスムーズに帰れなかったことが引き金になり
上の子にまた怒ってしまったのです。
「帰りたくないなら保育園に残ってなさい!」
「いちいち文句言わないでよね!」
と車の中で叱責しました。
言っているそばから
私も泣きだしそうになりました。
「そんなに強く言うことないのに」
「子どもはただ素直に自分の主張をしただけ」
「私にそれを受け止めるキャパがないだけなのに叱るなんて」
「ダメな母親だな」
とまた自分を傷つけ
責めることになってしまいました。
子どもを傷つけた上に
自分も責めることになる最悪のパターンです。
子どもに謝った
モヤモヤがおさまらない自分。
「自分が悪いと思ったら素直に謝ろう。」
そう思って、上の子と向きあいました。
「○○ちゃん、ママすぐに怒ってごめんね。
いつもすぐに○○ちゃんを叱っちゃうよね。本当にごめん。
ママ、うまくできないよね、、、ごめん。許してね」
と言うと、どんどん涙が出て来て
ワンワン泣いてしまいました。
それを見て娘も
「大丈夫だよ。許すから!泣かないで!ママ~」
と泣きだしてしまいました。
最後に
「ママ、怒っても○○のことが大好きだからね。」
と伝えました。
これでお良かったのかわかりません。
また、どれほど伝わったかもわかりませんが
しっかりと上の子を抱きしめることができて
私も安堵しました。
自分を責めないで
「母親」という2文字の概念が
どれほど世の母たちを縛っているでしょうか?
少し胸に手を当てて聞いてみてください。
「母親」という言葉からどんなことを連想しますか?
きっと自分の中に、無数の母親に対する固定概念が渦巻いていることが分かります。
・母は強くて明るい。たくましい。
・一方で弱い。
・母なら我慢すべき
・母は無償の愛を持っているべき
・母は耐えるべき
・母は家事が得意であるべき
・母は家族の面倒をみるべき(祖父母や病人など)
・母は雑務・裏方を担うべき
などなど。
そしてその概念を自分にも他人にも
無意識のうちに向けているのです。
「母親なのにね」
という発言はまさにそれ。
母親という役割は確かに重要かもしれない。
他ではできない素晴らしい経験です。
でも「私は私」。
私の子どもとの向き合い方
子どもとの向き合い方を、今一度考えてみたいと思います。
私は自分の感情をある程度子どもに見せたっていいと思っています。
大人だって完璧な存在ではないことが分かるからです。
ただ、そこに配慮は必要です。
全部わからくたっていい。
出来るだけ丁寧にいろんなことを説明しようと思います。
子育てこそまさに
「今を生きる」ことが大切だと思います。
子どもたちは過去を引きずりません。
親が悪いと思ったなら、きちんと子どもに謝る。
子どもたちは心が広いので、必ず許してくれます。
あとはもう、ずるずると引きずらないことが大切。
自分を責めることは、負の塊を自分にぶつける行為です。
充分頑張ってる。みんなえらい~。
自分をジャッジしない。責めない。押さえつけない。縛らない。
”母である自分”も幸せにしてあげよう。
いろんな自分がいることを認めてあげよう。
「枠」を取り払おう。
母親であることへのブロックを外す
私は、母である自分も”単なる一つの自分”であって
その役割だけに自分を沈めるのは
自分の可能性を閉じ込めてしまうのと同じだと感じます。
(「母という自分」にしがみついている自分にも気づけます)
「自分を犠牲にする母親像」はもう古い概念。
感謝をして、もうこれを解放してあげよう。
ここを手放せるかどうか、ここにブロックがある人も多いと思う。女性とは母性であり、そこには自己犠牲の感覚がどうしても付きまとうもんね。母性はとても大事な感性。でも母性と自己犠牲がくっついて離れないことが問題。母性と自己犠牲は全く別物!ということを理解する必要があります。
母親という仕事は、私にとって人生で最高のプレゼント。
これを大切に抱きしめながら
私は人生を自由に楽しむ。
それが今世でわたしがやりたいことです。
どこまでできるか、みんなも一緒にやってみないか?(笑)
最後まで読んでくれてありがとう。
またね。
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